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ノンデュアリティ(非二元)とは?流行の起源や批判の原因など徹底解説

ノンデュアリティ(非二元)とは?流行の起源や批判の原因など徹底解説

皆さんは「ノンデュアリティ」という言葉をご存じでしょうか。

日本でも2016年頃からこの言葉を耳にするようになり、一時はブームとなったこともあります。ノンデュアリティとは世界の構成を説くスピリチュアル的な考え方のひとつです。

日本語に訳すと「非二元」となり、直訳では「2つでない」となります。直訳の意味の通りノンデュアリティの考え方は、この現世はすべてがひとつのエネルギー体で構成されているというものです。

また、感情という概念も存在せず、個人がある事象に対して感じる感情は幻想であるとも説かれています。

大枠の説明をまとめると、ノンデュアリティとは「万物は単一のエネルギーの集合体であり感情は幻想である」ということなのですが、抽象的で難解だと感じる人が多いと思います。

この記事ではそんなノンデュアリティ(非二元論)をできるだけ分かりやすく紹介していきます。

ノンデュアリティ(非二元)とは?

日本語に訳すと「非二元」という言葉になります。

これだけだと何のことか意味が分かりませんが、直訳すると「2つでない」という意味です。つまりノンデュアリティとはこの世界に存在する万物は全てが分離することなく1つであり、一体であるということを指示しています。

科学の分野にも全ての物質は原子から構成されており、最小の構造単位は単一であると考える原子論という説が存在しています。

一見、ノンデュアリティと似ている様にも思えますが、実は全くの別物で異なる考え方です。ノンデュアリティの意味する万物とは物質だけではなく、波動や意識・時間や空間までも、形の存在しない物もすべて含まれています。

世界のすべてはたったひとつのエネルギー体によって構成されており、完全無欠なものだと考えられています。

起こり得る事象は最初からすべて決まっており、すべてが最善の事象です。個人という様な概念もなくあなたが感じている自由意志のある行為などもすべてが幻想、錯覚であるという考え方です。

ノンデュアリティをとってもわかりやすく簡単に解説

上記でも少し触れていますが、ノンデュアリティを一言で説明するならば「この世界のすべては単一のエネルギー体で構成されている」となります。

さらにノンデュアリティの考え方には「個人が持っている感情や意志は実際には存在しておらず、幻想や錯覚である」というものもあります。

これだけの情報では抽象的なものが多すぎて意味が伝わらないかと思いますので、もう少し詳しく説明していきます。

ノンデュアリティの思想の根底には「分離することは悪」という考え方があります。

物事が二分することで競争や争いが生まれ、分離することで強者と弱者が生じてしまう、という様に2つに分かれることによって世界は苦しみに包まれ、人々は不幸に見舞われると考えられているのです。

そこで重要になるのが「世界は単一のエネルギー体で構成されている」という考えです。現世に存在する万物、さらに時間や空間・感情や意志などの無形物にいたるまで全てがひとつのエネルギーで構成されているので、絶対に分離が起こることはありません。

極論にはなりますが、ノンデュアリティ論では私という特定の個人すら存在しません。この記事を今読んでいるあなたも存在していませんし、記事を読んで感じた感情も幻想や錯覚です。

ノンデュアリティは非二元論と言われ、一見ある種の理論のように思いますが、ノンデュアリティを本当の意味で正しく知るためには知識や理論を頭で理解するだけではなく、感性を研ぎ澄ませ単一のエネルギー体を感じることが必要になります。

ノンデュアリティの起源・歴史

ノンデュアリティという言葉は日本では2016年頃から耳にするようになり、ブームを巻き起こしました。

日本ではごく最近流行りだしたものですがノンデュアリティのルーツを探ると、その起源はなんと紀元前7世紀頃の古代インド哲学まで遡ります。

諸説あるとされ、現時点では明確なことは判明していないと言われていますが、ここでは有力説のひとつであるインド哲学起源説を紐解いていきましょう。

ノンデュアリティについてバラモン教の聖典を調べると、古代インドの哲学者ヤージュニャヴァルキヤが説いた「ネーティ・ネーティ・アートマー」に行き着きます。

当時、非二元論は確立しておらずあくまでルーツとなるもの、類似点が多数あるものという括りで、ヤージュニャヴァルキヤも紀元前700年頃にはすでに、世界はひとつであり唯一であると説いています。

ここから仏教に派生したと考えられており、今日では仏教にて悟りを開く際にもノンデュアリティが用いられるとまで言われるようになりました。

ノンデュアリティと引き寄せの法則

スピリチュアルの世界には「引き寄せの法則」というものが存在しています。

日本でも大ブームが巻き起こり、関連書籍も多数出版されているためノンデュアリティと比べると、認知度はかなり高い理論でしょう。

現在では心理学などにも採り入れられているため、普段スピリチュアルに興味のない人も名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。

この引き寄せの法則とは簡単に説明すると「自身の意識や想いが事象を引き寄せ、現実にする」というものです。

思考が現実になるという「引き寄せの法則」と思考や意識は幻想、錯覚であり存在しないとする「ノンデュアリティ」は、一見正反対であり相対する考え方のように見えるでしょう。

しかし、実はどちらにも間違いはなく2つの理論は矛盾を生み出すことなく共生することができます。

この2つの理論を同時に理解するためにはまず、受け手の皆さんに抽象度の解釈を説明する必要があります。

ノンデュアリティの教えは、思考や感情が存在する現世は実在しないものと悟り、真にあるのは唯一「分離のない単一のエネルギー体」であるという時間・空間や、個人の思考から感情までも単一のエネルギー体から共有されたものとする究極的に抽象度が高い説です。

対して引き寄せの法則は分離した自我や各個人が、自身の手が届く世界の中でより幸せに、より有意義に生きていくための教えです。

イメージとしてはノンデュアリティの中に内包されている引き寄せの法則といったところでしょうか。

この様に本来であれば同時に解釈することができる2つの教えなのですが、抽象度が大きく異なるためにまるで逆説のように感じてしまうのです。

ノンデュアリティ状態とは

ノンデュアリティ(非二元論)を学び、理解し、真の意味で体得できたときに人はノンデュアリティ状態へと状態移行するでしょう。

ノンデュアリティ状態に入ると3つの現象が起こります。

1つ目は「覚醒」です。

分離によって発生していた自我という認識を切り離すことで、己という個人の存在から解き放たれて、「非二元」であるところの唯一の単一エネルギー体とリンクすることができます。

この個人という概念が消え世界のエネルギーを心身共に理解するその瞬間をノンデュアリティでは「覚醒」と呼んでいます。

2つ目は「悟り」です。

悟りは仏教でよく聞くワードですがノンデュアリティと仏教は似たルーツを持ち、非常に密接な関係にあるため度々類似ワードが出てきます。

仏教の教えの中では悟りとは「迷いの世界を超え真理を体得すること」と定義づけられています。

しかし、ノンデュアリティにおける「悟り」とは、唯一無二のエネルギーを感じて理解し、この世界は常に完璧な状態で保たれているという真実に気づくことを指しているのです。

不満や不幸、争いは人間の感情によって引き起こされている幻想やまやかしであると認識し、ありのままの世界を愛することなのです。

3つ目は「手放す」です。

ノンデュアリティにおける「悟り」が発現すると、その人の心には「世界は今あるありのままの姿で完璧である」という気づきが生まれ完全調和を心身で理解します。

すでに完璧な完成された世界に生きていると理解できているので、執着や欲がなくなるでしょう。

これまで個人の感情や意志に左右されて切望していた物も、唯一無二のエネルギーとひとつになれたことで無意味だと理解し必要がなくなります。

これが「手放す」という現象です。

ノンデュアリティが危険と言われる理由

ノンデュアリティの教えは実は危険だと発言している人が多数存在しています。

ノンデュアリティを完全な形で理解するのは非常に難しく、ノンデュアリティの極致に到達できた人がごく少数であることが要因になっています。

人間は自らの知識が及ばないと理外の理を本能的に危険視し、敵対する習性があります。

ノンデュアリティの教えは世界の理に非常に近いが故に、理解できる人が少なく敵対する者が数多く現れているのです。

大多数の人々は個人の存在を信じ、尊重する意識を持っています。ノンデュアリティでは個人そのものの存在を否定することになりますので、「自我」や「意識」を重んじる人々は真っ向から対立することになります。

そしてもうひとつノンデュアリティが危険な思想と呼ばれる大きな理由があります。

これは一部の人の誤解から生じたものですが、ノンデュアリティでは悪事も全て許し受け入れなければならないというものです。

「全ては必然であり、ありのままを受け入れること」というノンデュアリティの一部分だけを切り取ったものが先行した結果といえるでしょう。

正しい解釈は、悪事を無条件に許すという意味ではなく、起きてしまった出来事に対して嘘やごまかし、自己犠牲をすることなく発生した事象だけを実直に受け止めるです。


この様に、少数派だからという理由や一部の誤解などによってノンデュアリティは危険な思想であると言われてしまうのです。

ノンデュアリティを実感する

ノンデュアリティは理論として言葉を並べると非常に難解で理解に苦しむことになるのですが、実際に体験として感じると頭でも理解しやすくなるかもしれません。

身近に感じることのできるノンデュアリティの代表例として「愛と喜び」があります。

ノンデュアリティでは「愛」はこの世界中に満ちあふれており、万物を構成するエネルギーとされます。

無償の愛を受けると「喜び」の感情が湧き出てくると思いますが、その感情は自我が作り出した幻想、錯覚です。

その他にも、「宇宙と人類」という考察もあります。

今、多くの人の認識では宇宙という空間に地球があり、その中に人類が住んでいるという認識になっているのではないでしょうか。

しかしノンデュアリティでは宇宙は全てであり人類も宇宙も元はひとつの存在です。

人類という枠は我々人間が自我によって後付したただの分類名に過ぎません。

このようにノンデュアリティの考え方は至るところに存在しており、個人の持つ感情やこれまでの常識という概念を簡単に打ち破ってしまいます。

ノンデュアリティ(非二元)は嘘?

ノンデュアリティの考え方はあまりにも抽象的で、一般常識から考えれば大それた理論であるため、嘘ではないのかと言い出す方も大勢います。

しかし実際に仏教の教えの中で悟りの極致にたどり着いた人々は、非二元論を理解し体得しています。世界はただひとつであり、各個人の感情は幻想で争いは分離によってのみ生じる現象です。

これまでの常識という概念を捨て去り、魂の波動を引き上げることで新たなステージへと上り詰めたとき、ノンデュアリティを真に理解し悟りの境地へと至ることができます。

ノンデュアリティが批判を受ける理由

ノンデュアリティ(非二元論)の考え方は、この世界の理の核心を突いているが故に非常に抽象的な理論になってしまいます。

そのため理解することが非常に難しく、真の意味で体得できる人は僅かに限られるでしょう。

人間は本能的に理解できないもの、自分の知らないものは怖いものと決めつけてしまう習性があるため、批判の理由は大半がこれに当てはまります。

引き寄せの法則ほどメジャーな理論でもないため、関連書籍などが少ないことも原因になっているのかもしれません。

一部分だけ切り取って誤解したまま批判を続けている人が大多数を占めていると言っても過言ではないでしょう。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

この記事ではノンデュアリティ(非二元論)についてお話してきました。

日本でも一時ブームが起きたとはいえ、それ程メジャーな理論ではありませんので、ノンデュアリティという言葉自体初めて聞いた人もいるのではないでしょうか。

本文でも紹介してきた通り、ノンデュアリティは太古の昔からある考え方にも関わらずこの世界の理に限りなく近しい理論であるといえます。

極論であり抽象的な理論であるため簡単には理解しにくいですが、ノンデュアリティを正しく理解し体得できた時にあなたの魂は世界の理へと一段階近づき、波動も大きな上昇期を迎えることになるでしょう。

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