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カルマがない人はいるの?

カルマがない人はいるの?

カルマがなくなるとどうなるのでしょうか…?

カルマは私たちが生きていく上で欠かせないものですが、もし突然カルマが消えてしまったら、その影響は予想もつかない形で社会に波及していくことでしょう。

ある人は、自分の行動の結果について心配する必要がなくなり、すがすがしい気分になるかもしれません。しかし、多くの人々、特に親切で敬意を払うことを優先している人々にとっては、自分の善行に対して世界がどのように反応するかという不安感が麻痺してしまうかもしれない。

今回はカルマがない人は存在するのかというテーマを考えてみたいと思います。

カルマがない人はいる

最初に結論から申し上げると、カルマがない人はいます。

厳密に言うと、カルマの存在を誰も証明できていないので、カルマがない(と考えて生きている)人となります。

カルマとは、ヒンドゥー教や仏教の基本的な考え方で、人の行動はその人の人生の結果と結びついているとするものです。

善悪にかかわらず、すべての行為には結果があり、それは現世でも来世でも現れるという意味でもあるのですが…。

このカルマという考え方のベースとなっているヒンドゥー教や仏教は紀元前5世紀ごろ発祥と言われていますから、今から3500年以上も前の考え方になるのです。

カルマは輪廻転生と結びついた複雑な概念で、行動と結果のサイクルは輪廻転生のサイクルの中で展開し続けるからです。

人生100年時代に、前世の宿命を背負って産まれてきたという考え方は、少々息苦しいと考える人もいるのではないでしょうか。

宗教の信仰の自由もありますから、カルマなんてないと考えて生きている若い人たちも最近では多いようです。また、同時にカルマの存在を信じない人たちにとって、輪廻転生はないものとして考えることが多いようで、人生一度切り、今この瞬間を楽しむ。

ただしこのような「お天道様が見てる」といった因果応報的な考え方は私たちの道徳として生活に根付いているので、カルマのような考え方を持っている人は多いのではないかと思います。

次に逆説的に、カルマがもし存在しないとしたら世界はどうなるのか?考えてみましょう。

カルマの概念がない世界は存在するのか

カルマの概念がない世界では、私たちの行動を支配している宇宙の道徳的秩序が混乱し、歪んでしまうかもしれません。

倫理的な判断ができなくなり、非倫理的な行動が増え、思いやりの代わりに私利私欲に支配された世界になるかもしれません。

そうなれば当然、他者との関係にも悪影響を及ぼし、信頼や理解が希薄になり、達成することが難しくなります。

また、人間の苦しみや心理的苦痛の増加にもつながり、結果がどうであれ、何でも可能であるかのように感じられる世界をますます作り出してしまうかもしれません。

カルマの考え方

カルマがない人なんているのでしょうか?私たちは皆、自分が宇宙に出したものを引き寄せているのです。

もちろん、誰もが同じようにカルマの影響を受けるわけではないと主張する人もいるかもしれませんが、カルマが私たち全員に影響を及ぼしていることは否定できません。

私たちの思考や意図は具体的なものに姿を変え、私たちは自分の行動の結果と表裏一体となっているのです。

ヒンズー教や仏教では、カルマは私たちの行動の結果であると考えられており、原因と結果のサイクルとして機能し、巡ったものは必然的に巡ってくるのです。

仏教の最も基本的な教えのひとつに、「他人に親切に接し、自分がされて嫌なことは他人にしない」というものがあります。

最終的に、宇宙はカルマの法則によって機能しており、私たちは自分の選択とその選択がもたらす反応に責任を負っています。

前世からの宿命的なカルマはないと考えるほうが幸せになれる

前世の行いが短期的にも長期的にも人生の行方を左右するという考えを持つ人は多いです。

過去の行為や行動が運命を変えるという考え方は、仏教のさまざまな学派、特に上座部仏教と大乗仏教に見られるが、ジャイナ教にも存在する。

カルマの概念は、何世紀にもわたって、さまざまな宗教、文明、文化において信じられてきました。

その証拠に、ヒンズー教では紀元前1000年、古代中国、日本、その他多くの国で、カルマが信じられてきました。

さらに、技術や科学の進歩に伴い、意識の本質を探る心理学や神経科学の研究によって、こうした信仰の説明が可能になってきている。

前世のカルマが現実に存在するかどうかは不明だが、カルマの法則を信じることは、多くの古代文化において強力な概念であり、今日も多くの人々の生活を形成していることは確かです。

しかし、こういった宿命論というのは、その人の現在の可能性を縛り付けて、問題の本質から目を背けてしまう可能性があります。

例えば、前世で悪い行いをしたから、職場や学校でいじめられるなど。

このような考え方から脱却して、自分の行動に特に意味はないし、無償の愛で他者も自分を許すといったツインレイ的な考え方のほうが幸せになれるのではないかと思います。

習慣化されたものから脱却するのは難しいかもしれませんが、私たちの現在の生活は、私たちの決断と人生の選択によって影響を受けていることを忘れてはいけません。

どんな背景、歴史、文化を持っていても、誰もがより良い人生を求めて変化し、積極的に行動する力を持っているのです。

つまり、過去に誤った判断で悪い結果を招いたとしても、歴史の教訓を正しく解釈し、未来に向けて前向きな変化を遂げれば、誰も罰当たりなカルマの連鎖にとらわれる必要はないのです。

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