瞑想をはじめとした、マインドフルネスの実践は、基本的に、どこでもできるものです。座る場所さえあれば、基本的な瞑想はできます。
しかし、実際には、集中が妨げられるような空間というのもあります。そのような空間で、こころの動きや呼吸に注意を向けようとしたとしても、難しいと思われます。
たとえば、工事などによって、騒音がはいってきて集中できないような場合には、それは、自己の集中力でどうにかできることではありません。音が聞こえないように、耳栓をつけながら瞑想をするなど、ひと工夫をしたほうがよいです。
いくら気づきの訓練として瞑想をするといっても、よほど慣れているのでなければ、限界があります。
また、わざわざ集中しづらい場所へ赴いて、そこで瞑想をしようとする必要もないと思われます。「できれば、こころを煩わすようなものごとに邪魔されないような空間を確保したい」と思うことは、あたりまえのことです。
この文章では、マインドフルネスの実践にふさわしい空間や、環境づくりについて述べます。
【マインドフルな空間は『清浄無垢』】
禅では『清浄無垢』ということばがあります。『清浄無垢』というのは、汚れがなく、清らかなことです。禅の空間は、清浄無垢であることが望ましいとされています。
たとえば、アップルコンピューターの創設者であった、スティーブ・ジョブズは、彼の自室に、最低限のもののほかには、ほとんどなにも置いていませんでした。いわゆる、ミニマリストのように、部屋の中央にマットを敷いて、そのマットのわきに、電気スタンドや、レコードプレイヤーなどを置いていただけでした。
もっとも、2004年に撮影された、彼の部屋の写真には、壁ぎわの本棚にたくさんの本が置かれている様子も見られますけれども、そうなっても、フローリングは、広々としています。
彼が禅の瞑想を実践していた人物である、ということは、よく知られています。日本人の禅僧から指導を仰いだり、修行のために東洋を旅したりしていたため、ジョブズは、思想についての理解も深かったのです。
汚れがある部屋や、ものが多い部屋にいるときには、われわれは、よけいなことに気をとられてしまうことが多いです。
だから、マインドフルネスにおいて、理想的な空間は『清浄無垢』な空間です。清潔で、よけいなものが目に入ってこない部屋でおこなう瞑想のひとときは、やはり、特別なものです。雑念を減らすことが、マインドフルネスの効果ですから、そのために、瞑想をする空間は、気をそらすようなものを置かないようにして、今という瞬間だけに集中できるように整えることが大切です。
清浄無垢という観点から、掃除や、部屋の片づけをすることは、その行為じたいが、マインドフルネスの習慣である、ということができます。
片づけをするためには、瞬間の決断力が必要なことです。決断力などというと、大げさにきこえるかもしれませんけれども、現在の自己にとって必要がなくなったものを分別して、手放す、ということは、われわれが考えているよりも難しいことです。
過去のものを手放すプロセスは、静座瞑想における、ストレスの手放しと同じようなものです。
また、掃除をするときの動作は、同じ動きを反復する動作となります。
きめられた所作や、ある動作を反復するようなことは、集中状態をつくるために活用することかできます。テーブルを拭く動作ならば、テーブルの表面に布巾をかけていく動作や、手の感覚に意識を向けてみるのです。テーブルの上に物が置いてある場合には『必要のないものを置いていないか』『テーブルのどこに置けばきれいに見えるか』といったことに気を配って整理することが、清浄無垢の感覚を養うための訓練となります。
【自然を感じることができる場所】
都市で生活している人々は、そうでない人々とくらべて、ストレスを感じやすい、という傾向があります。この事実は、多くの研究や統計によって、証明されています。
人工的な都市とは反対の特徴をもつ、自然環境は、われわれをストレスから解放してくれます。
自然の環境には、ゆらぎがあります。風の音や、鳥がさえずる声などといった環境音は、われわれが自然の一部である、ということを思い出させてくれます。
しかし、都市で生活をしている人々は、そのようなゆらぎを感じる機会が少ない環境で、人工物に囲まれた日常をすごしています。都市では、自然の感覚がない生活様式が、あたりまえとなってしまうのです。都市のストレスは、そのような、ゆらぎを感じることができないことが原因だ、といわれています。
だから、休日など、じゅうぶんな時間を確保することができるときには、自然の環境の中へ行って、ゆらぎを感じながら瞑想をするとよいです。ふだんの生活の中で蓄積されたストレスを手放して、植物が自生している山のふもとなどに足を運んで、自己の身体が地球の生命の一部であることを思い出すのです。
また、そのような環境に近いような、自然公園などへ行くだけでも、ゆらぎを感じることができます。
たとえば、東京都内でも、自然のすばらしさを喚起させてくれるような公園はあります。私は、上野の美術館へ行ったときの帰り道に、不忍池のそばを通ったことがあります。不忍池には、池の底から伸びた、たくさんの蓮が、水面の上に花を咲かせていました。池には橋がかかっているため、橋を渡りながら、薄い桃色の蓮が四方から咲いている道を歩くことができました。
そのような場所で、自然の生命力を感じながら、近くにあるベンチに座って、5〜10分程度、呼吸に意識を向けてみるだけでも、日常を離れた体験となります。
あるいは、自然公園に寄ったときに、そこで歩行瞑想を実践するならば、散歩のような感覚で、気づきを保つことができるかもしれません。
そして、ふたたび、日常の生活に戻るときには、すっきりとした気分で、あらゆることに取り組んでいる自己の意識に気づくでしょう。
【瞑想会を活用する】
禅寺や、セラピストが主催している瞑想会へ出席することは、よいことだと思います。『自宅で瞑想をしても、うまく集中状態に入ることができない』という方々は、瞑想会を活用する、という選択肢もあります。
瞑想会をおすすめできると考える理由は、二つあります。
第一に、落ち着いた気分で瞑想をするための空間を、瞑想会によって確保することができる、ということです。お寺ならば、宗教施設だけにそなわっている荘厳な雰囲気があります。マインドフルネス系の瞑想会では、セラピストが、誘導によって、深い瞑想の状態に入りやすいようにしてくれます。
そして、第二の理由は、定期的な瞑想会に参加しつづけることによって、瞑想を習慣とすることができるようになるからです。
近年は、外出自粛要請によって、残念ながら、多くの瞑想会が中止に追いこまれていました。
私も、曹洞宗のお寺で、無料の坐禅会に参加していた時期がありました。最近は、坐禅会を再開しているお寺もありますから、参加を考えているならば、感染症対策について、確認してから予約をしたほうが無難です。
【企業の研修として】
近年、わが国では、ビジネスパーソン向けのマインドフルネス講習も、盛んにおこなわれるようになりました。
そのような、社内で瞑想会などといった講習をおこなっている企業に勤めている方々は、グループで瞑想をする機会として、活用してみるとよいです。
グーグル社のエンジニアとして活躍していながら『陽気な善人』を自称して、人材育成に取り組んでいた、チャディー・メン・タンという人物がいます。
メンは、ビジネスパーソンに向けて、EQ(情動的知能)を高めるためのカリキュラムを推奨しています。EQというのは、知能をはかる指標(IQ)ではなく、情動をコントロールする能力のことです。
そして、彼が開発したカリキュラムにおいて、中心となる方法は、ほかならぬ、マインドフルネスなのです。
情動のコントロールは、意志と人格の基礎をつくるために必要なことです。
さらに、それを周囲の人々に向けて拡大して、他人の感情を読み取り、人間関係を円滑に処理する能力も、EQの内に含まれます。自己の感情や衝動を制御することによって、社会的なふるまいを改善することができるのです。その、情動をコントロールする能力を涵養するために、社員がマインドフルネスを実践するのです。
メンがグーグルの社員に向けて組み立てたマインドフルネスのカリキュラムは《サーチ・インサイド・ユアセルフ(己の内を探れ)》という名称を与えられました。メンが著した同名の著作では、略して《SIY》ともよばれています。
彼によれば、ビジネスパーソンは、EQを向上させることによって『優れた職務遂行能力』『抜群のリーダーシップ』『幸せのお膳立てをする能力』という、三つの能力を成長させることができます。
EQを育てるマインドフルネスが、ビジネスの領域で注目されている理由は、マインドフルネスが、個人的なものにとどまらない自己訓練である、ということにあります。瞑想が助けることがらは、自己への気づきといった、個人の内面的なことだけではありません。瞑想や、瞑想の注意力を応用した、さまざまなメソッドは、問題解決をするための、社会的な能力を育てるのです。ビジネスにおけるマインドフルネスが重要視されるようになったことの背景には、仕事に取り組むための能力として、情動についての能力である、EQにたいする理解が深まっている、という事実があります。
今、企業でマインドフルネス部を創設する、などといった傾向は拡大しています。
社内で推奨されているプログラムを活用して、マインドフルネスに取り組むための時間や空間を提供してもらう、という方法は、有効です。そのような取り組みの目的は、ただ、社員のストレス耐性を高めることだけではありません。瞑想で雑念を手放すことが、仕事の能率を上げたり、ともにプロジェクトをおこなう同僚との関係をよくすることにも役立つのですから、長い目で見るならば、会社の利益にもなるのです。
もしも、この文章を読んでおられる方が、会社の経営者や、重役であるならば、社員向けに、マインドフルネスのプログラムを試してみる価値はあると思います。
【お香を炊く】
お香を焚いた部屋で、瞑想の気分を演出して、集中状態に入りやすい空間とすることができます。仏壇を設置しておられる家庭ならば、ふだん、線香の香りが環境を整える効果を、実感しているかもしれません。
マインドフルネスのプログラムでは、アロマを使うことを推奨していませんけれども、お寺の坐禅会では、一本の線香が燃え尽きるまでの時間を基準として、坐禅を組みます。毎日、荘厳な雰囲気をつくる香りを室内に放つことが、習慣となっているような空間は、こころの内面を落ち着かせるためには、ちょうどいい環境です。
私も、自室に、百均で購入したお香立てを置いて、線香を焚きながら瞑想をします。とくに、私が気に入っている線香は『沈香』です。『沈香』は、お寺で使われている線香と同じ素材のもので、甘い香りが神秘的な感じを演出します。これは、薬局の仏具コーナーなどで、一般向けに販売されている製品があります。一本あたりの価格も、それほど高額ではありませんから、簡単に入手することができます。
私の感覚では、瞑想をはじめたばかりの方々は、お香の香りの中で瞑想をする、という方法ならば、続けやすいという感じがします。お香を使えば、よい香りを瞑想という行為に結びつけるという条件づけをすることができます。そのようにすれば、よほど忙しいときでない場合は、瞑想をサボる気分にはならないと思います。
また、アロマセラピーが好きな方々も、お香を試してみることをおすすめします。
【まとめ】
マインドフルネスの空間は『清浄無垢』の空間です。
そして、そのような空間を、自己の努力によってつくる行為そのものが、雑念にとらわれないための瞑想である、ということができます。掃除や、片づけによって、心を整えることができるとされている理由は、やはり、空間をきれいにすることが、こころをきれいにすることと、リンクしているためです。
また、坐禅会や、マインドフルネスのプログラムを活用するならば、あらかじめ用意された空間と時間で取り組むことができます。
そのような機会を定期的に利用し続けているうちに、マインドフルネスにたいする態度が、儀式的に、積極的になっていきます。
読者の皆様には『自己のこころを変えるために、自己の周囲にある環境を変える』という発想をもっていただきたいと思います。
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