死後の世界が存在するかどうかについては、古くから議論されてきました。人間が死ねば無になると考えるのが科学的に主流だった時代が長く続いてきましたが、近年では科学の世界でも、死後の世界を肯定する科学者が増えています。科学が発達するほど、死後の世界を否定するのが難しくなってきたからでしょう。しかし、いくら死後の世界を示唆する研究結果が増えたとしても、依然として死後の世界は存在しないと考える科学者も多く、いつまでも議論が終わらない状況です。この記事では、死後の世界がないことを証明できるかを紹介します。
死後の世界の存在は古くから論じられてきたテーマ
死後の世界が存在するかについては古くから論じられてきたテーマですが、科学の進歩に合わせて余計に活発に議論されるようになっています。現在では次のように議論が展開されています。
死後の世界を信じる人が増えている
ある調査によれば、死後の世界を信じている人が7割になったというデータがあります。データの採り方よって数字が変わるとはいえ、かなり高い水準であることは間違いありません。特に若い世代ほど死後の世界を信じる人が多いことが興味深いです。科学の進歩と比例して、死後の世界を信じる人が増える傾向があります。
スウェーデンボルグが見てきた死後の世界
仏教では古くから死後の世界について語られていたものの、死後の世界を実際に見てきた人間が霊的体験を紹介したことで有名なのが18世紀の科学者で思想家のスウェーデンボルグです。生きながらにして死後の世界を見てきた霊的体験を紹介した大量の著述は、今でもその多くが大英博物館に保管されています。
日本でもスウェーデンボルグに関する書籍が数多く翻訳されて出版されていますので、スピリチュアルに興味がある人は読んだことがあるかもしれません。スウェーデンボルグが死後の世界について紹介した著述と現代人の臨死体験には共通点が多く、これらの点も死後の世界の存在を裏付ける証拠として注目されています。
アメリカでは死後の世界についての研究が進んでいる
アメリカでは40年ほど前から死後の世界についての研究が盛んになり、各国の宗教や文化を超えて、死後の世界に対する認識に共通項が見えてきたそうです。日本人の場合、臨死体験では花園や川が出てきて、向こう側から先に亡くなった親族や知人に呼ばれるパターンが多いですが、世界各国では違うパターンもあるようです。
しかし、臨死体験をした人は日本人でも外国人でも、死が怖くなくなったという感想を持つ人が多い点では共通しています。臨死体験で死後の世界を実際に見ることで、恐ろしい世界ではないことを知るからでしょう。
死後の世界の研究を通じて、死後の世界が存在すると確信する科学者がいる一方で、死後の世界は存在しないと主張する反対意見も少なくありません。死後の世界が存在しないことを証明できるかは、これからの科学の進歩によって大きく左右されるでしょうが、現時点ではまだまだ決着がつかないでしょう。
死後の世界の仕組み
死後の世界がないことを証明できるかを考えるに際して必要なのが、死後の世界の仕組みを知ることです。科学ではまだまだ証明されていないとはいえ、死後の世界の仕組みは次のようなものだと考えられています。
人間が死ぬと、まず魂が肉体から抜け出る
人間が死ぬと肉体から魂が抜け出て、次のような過程で死後の世界に旅立ちます。
最初は自分が死んだことがわからない
魂が肉体から抜け出て、死んでいる自分を見下ろすことになりますが、最初は自分が死んだことがわからない人が多いようです。魂だけになると、まわりの人に話しかけても通じませんから、そこで戸惑うことになります。
初七日の頃までは、自分が死んで家族が悲しんでいる姿や葬式を眺めて過ごします。魂が肉体から抜け出てからこのあたりまでは、まだ自分が死んだことを受け入れられない状態が続き、不思議な気持ちになるでしょう。
電子線が切れると生き返ることはない
人間の肉体と魂は「霊子線」と呼ばれる霊的物質でつながれていますが、心臓停止から1日ほどで切れてしまいます。霊子線が切れたときが本当の死であり、霊子線がつながっている限りは魂が肉体に戻って生き返る可能性があります。心臓が停止して死が宣告されても生き返ることがあるのは霊子線がつながっているからです。
明らかに死んだと思われたのに、生き返って驚かれるのは、かろうじて霊子線がまだつながっていたからです。しかし、完全に霊子線が切れたならば、生き返ることはありません。
魂には重量がある
肉体から魂が抜け出すと、その分体重が減ることから、魂には物理的な重さがあると考えられています。実際に魂の重さを計測したのが20世紀初期のアメリカで活躍していた医師のダンカン・マクドゥーガルさんでした。
彼は「人間に魂があるとするなら、その魂は空間を占有するはずだ。そして、魂が空間を占有する以上、重さが存在しないとおかしい」と考ました。ダンカン・マクドゥーガルさんが人が亡くなる直前と直後の体重を測ったところ、約21グラムの差を計測しました。この約21グラムの差が魂が抜け出たことによると主張しています。
三途の川を渡ってあの世に行く
魂が肉体から離れて霊界に旅立つと、その先に待っているのが「三途の川」です。
三途の川とは
三途の川とは現世と死後の世界を分ける境界線であり、一度渡ってしまうと戻ってくることができません。三途の川は三瀬(みつせ)川や葬頭河(そうずか)、渡り川とも呼ばれており、三瀬川と呼ばれる理由は、三途の川には流れの速さが違う3つの瀬があるからです。現世での行ないの良し悪しによって、渡る場所が変わります。
現世で良い行ないをした善人は橋を歩いたり、渡し舟に乗せてもらって三途の川を渡れる一方、軽い罪を犯した者は浅瀬を渡り、重い罪を犯した者は流れが速い深い瀬を渡らなければならないと言われています。
また、現世のお金や地位などに執着があると、溺れながら三途の川を渡ることが多いです。
三途の川を渡っている間に審判を受ける
死後7日目に三途の川を渡り始めて、渡り切るのは死後49日目になるとされており、これがよく言われる初七日、四十九日の根拠です。死後49日までの7日間ごとに魂の行先を決めるための審判を受けることになります。
この審判を行なうのが十王と呼ばれる10人の王です。仏教では死後49日目の審判で極楽浄土に行けるかが決定されるため、四十九日には盛大な法要を行ない、死者を供養します。
三途の川を渡ってもゴールではない
三途の川を渡ると先に亡くなった両親や祖父母、親戚などが出迎えてくれるので、ゴールだと思われるかもしれませんが、三途の川を渡っただけではゴールではありません。三途の川を渡ってから、霊界のどこに行くかを決めるための手続きがしばらく続きます。
人間は死後、自分の人生を振り返って反省する
三途の川を渡ってしばらく行くと映画館のような建物があり、守護霊の目から見た生前の自分の一生を編集した映像を見せられます。この映像を見るのは自分だけではなく、陪審員のような観客たちも一緒に見て、霊界での行先を決めるための判断材料になります。生前の行ないだけでなく、心の中でどう思っていたかまですべて観客にも公開されるため、自分でも見たくないもの、見られたくないものまで見ることになるでしょう。
しかし、あのとき、自分はなんてひどいことをしたんだろうなどと反省する機会が与えられることになり、霊界の行先についてもある程度は納得できるかもしれません。
自分の霊性レベルに合った霊界に行くことになる
生前の自分を反省するなどの過程を経て、自分の霊性に合った霊界に行くことになりますが、霊界の階層は無数にあります。霊界は7つの界層に分かれているという説もありますが、実際にはそれぞれの界層が重なり合ってグラデーションのように連続している構造になっており、はっきりとした階層には分かれていません。
ひとつの階層がより低い界層と融合して重なり合っていたり、より高い階層と融合して重なり合っていることもあります。それらの階層の中で、自分の霊的な成長レベルに合ったところで修行することになります。
自分の霊性と合わない霊界の階層に行っても、効果的な修行をすることはできません。小学生が大学の授業を受けても意味がないように、大学生が小学校の授業を受けても成長の役には立たないでしょう。
自分が行くべき霊界に行くと、魂のレベルに合わせた修行のプログラムが用意されています。
霊界から輪廻転生して生まれ変わる
霊界では、ずっと修行を続けるわけではなく、さらなる成長のために何度も輪廻転生を繰り返します。
輪廻転生とは
輪廻転生とは肉体的には死んでも、魂だけは永遠に生き続けて何度も違う肉体に生まれ変わることです。肉体は物理的な存在であるため、いつまでも生きられないので、魂が修行するためには生まれ変わる必要があります。
生まれ変わっても、ほとんどの人が前世の記憶がないのは、生まれ変わるときに前世の記憶を消されているからです。もしも、記憶がそのまま残った状態で生まれ変わって来ると、魂の修行の妨げになるでしょう。その人生ごとに新しい体験をして魂を修行させるのが輪廻転生の目的だからです。
生まれ変わるときに前世の記憶が消されるとはいえ、完全に記憶が消えているとは限りません。稀に前世の記憶が残ったままの人もいますし、前世の記憶がない人でも、初めて来た場所なのになぜか懐かしく感じて不思議に感じることがあります。初めてのはずなのに、懐かしく感じるなら前世の記憶と関係しているかもしれません。
スピリチュアルの世界でよく言われる前世や過去世という言葉は輪廻転生を前提としています。
輪廻転生で生まれ変わるときに人生のシナリオを決めてくる
人生は何も決まっていないように思えるかもしれませんが、実は生まれ変わる前に霊界で自分の人生のシナリオを決めてきていると言われています。前世がお金持ちで何不自由ない生活をしていたなら、新しい人生では貧乏で苦労が多い生活を体験すると決めてきているかもしれません。
なぜ自分はこんなに不幸なのかと嘆く人が多いですが、もともと自分で決めてきたシナリオ通りであることが少なくありません。人生のシナリオを決めてきているとはいえ、すべてが決まっているとは限りません。シナリオの決め方は自由ですから、大まかに決めておいて細かいことまでは決めない人もいますし、細かいことまで全部決めてから生まれ変わる人もいます。守護霊と相談して、どんな人生にするかを決めることもできます。
輪廻転生のゴール
輪廻転生で何度も生まれ変わって人生を繰り返すとは言っても永遠に続くわけではなく、もうそれ以上魂の修行が必要ないと天界から認められるレベルに達すれば輪廻転生の長い旅は終わります。それが輪廻転生のゴールであり、その先は霊界を超えて天界に上っていくことになります。
死後の世界は存在しないことの根拠
科学者の間でも、死後の世界は次の理由により存在しないと主張する人が少なくありません。
量子力学の観点から死後の世界を否定する意見
「車椅子の物理学者」として知られた英国のスティーブン・ホーキング博士は量子力学の観点から死後の世界を否定していました。ホーキング博士は死後の世界は存在せず、人間が死んだら無になると考えており、その根拠として「人間の脳はコンピューターと同じ。脳がその機能を失えば人間の意識もなくなる」と語っていました。
脳の機能が停止すれば考えることも感じることもできなくなるという考えは科学的に説得力がありますが、意識が魂から発せられるなら、180度反対な結果になる可能性があり、まだまだ議論が続くでしょう。
ホーキング博士は宇宙の創造に神の力は必要ないと主張して、宗教界から批判を浴びたこともありました。
電子物理学から見た死後の世界の否定的意見
電子物理学の視点から死後の世界を否定する意見もあります。電子物理学というのは、物理の諸原理をエレクトロニクス社会に活かすための高度な学問であり、気体、液体、固体内の電子現象を深く追求します。
電子物理学による観点では、人間が何かを感じたり、何かを考えるときには神経から脳へ、脳の中で電子による電気信号が発生すると考えられています。人間が感情を発したり、物事を考えるためには電子という物質が必要不可欠であり、人間が死亡しても脳や神経に存在して離れることはありません。
電子はごく微量な物質であり、原子レベルですから肉眼で捉えることはできません。しかし、確かに質量として脳や神経に存在したままである以上、魂が肉体から離れて独立して意識を持つはずがないという論理です。
スティーブン・ホーキング博士が唱えた死後の世界の否定と似ていますが、さらに踏み込んだ内容でしょう。
脳科学から見た死後の世界に対する反対論
脳科学の分野では人間に死が迫ってきたり、脳の機能が停止に近づくと、自分が忘れていた過去の記憶が呼び起こされると言われています。死後の世界の体験として語られる知らないはずの祖母の特徴を言い当てたなどの話は自分が忘れているだけで、子供時代の記憶が蘇っただけだというのが脳科学の見解です。
たとえば、祖母には本当に会ったことがなくても、子供時代に親や親戚などが祖母の話をしているのを横で聞く機会が頻繁にあったのかもしれません。自分のまわりの大人たちが祖母について話をしているのを聞けば、自然と祖母がどんなイメージだったかが脳内に記憶された可能性もあるでしょう。
その記憶は脳に眠っていて、ずっと意識していなかったものの、夢に出てきた祖母の姿と結びついて記憶が呼び起こされたものであり、夢を死後の世界だと錯覚しただけだと脳科学では結論付けています。
死後の世界があるとする根拠
死後の世界はないとする意見に対して、次のように死後の世界はあるとする根拠が主張されています。
量子力学が考える人間の意識
死後の世界を否定するときにも量子力学が根拠にされていますが、死後の世界を証明する根拠としても量子力学が活用されています。世の中に存在する物はすべて原子からできていますが、その原子をさらに細かくしたのが量子と呼ばれる粒子であり、物質の最小単位であるため、人間の意識も量子でできていると考えられます。
人間の意識が量子であると考えれば、死亡することにより量子である意識が肉体から飛び出して宇宙とつながるという理論には無理がありません。量子コンピューターがさらに発達すれば、意識が量子であることや宇宙とのつながりについて明確に証明できるようになるかもしれません。
量子のもつれ
量子物理学による仮説では、宇宙のビッグバンが発生したときに宇宙空間には「原意識」が存在したそうです。「原意識」とは、我々誰もが持っている意識の元になっているものだと考えられています。
人間が死ぬと、脳内の意識にある量子にもつれが生じます。「量子のもつれ」とは、物質の元である素粒子同士が影響し合っている状態のことであり、宇宙に存在する原意識と繋がるという理論です。
もともと宇宙に存在する原意識と自分の意識が繋がることは、死後の世界でも意識が存在する証明になります。
ホログラフィック宇宙論
人間が住んでいる世界を縦横、高さがある三次元ではなく、縦横だけの二次元として捉える「ホログラフィック宇宙論」が死後の世界での意識の存在を証明するものとして注目されています。
プリンストン大学やスタンフォード大学などの有名学術機関がホログラフィック宇宙論を研究しているほどですから、将来的には科学が死後の世界を証明するかもしれません。ホログラフィック宇宙論と名付けられたのは、平面に印刷された模様があたかも立体のように見えるホログラムに似ているからです。
ホログラフィック宇宙論によれば、全宇宙のあらゆる出来事は二次元の平面に記された情報として表現できるとしています。しかも、それらの情報は過去か未来かも関係なくすべて保存されるとのことです。
それぞれの人間個々人の過去世、前世、現世の記憶や意識もすべて保存されるということは、死後の世界を証明できる可能性があるでしょう。これからの研究が期待されています。
予知夢が教えてくれる霊魂の存在
命に関わる病気の治療をしている医師の中には、担当している患者から夢の中で別れを告げられることがあると語る人もいます。一度や二度ではなく、数年間で何度も同じような夢を見たそうです。
それらの夢は正夢であることが多く、患者が夢の中で別れを告げてきた時間と病院で実際に息を引き取った時間がほぼ一致していました。担当していた患者が夢枕に立って、お別れを言われることは医療関係者ならそれほど珍しくないとも言われています。このような夢は「予知夢」と呼ばれています。
予知夢の中で患者が別れを告げることができるのは、霊魂が肉体から抜け出ると自由になり、生きている人間の意識とつながれることを示しているでしょう。
退行催眠が証明する前世の存在
被験者を催眠状態にして過去の意識状態へと遡る退行催眠によって、前世の体験を語らせる「前世療法」は心の治療に役立つだけでなく、死後の世界が存在を証明するために役立ちます。
前世について被験者が語られた内容が現世に生きる被験者には知り得ないものでありながら、客観的事実と合致しているならば、輪廻転生や死後の世界が存在することの状況証拠になるでしょう。
死後の世界が存在することの根拠になっている臨死体験
死後の世界が存在する証拠として多くの科学者に注目されているのが「臨死体験」です。
臨死体験の共通項
臨死体験は死後の世界を垣間見ることなのか、瀕死の状態で見る夢のようなものなのかについては専門家の間で議論がありますが、これまで報告された数多くの臨死体験には次のような共通項があります。
・穏やかで落ち着いた感覚
・対外離脱体験と呼ばれる、身体から抜け出た感覚
・暗いトンネルの先にある光に向かって通り抜ける
・人生が走馬灯のように蘇る
・三途の川まで行くが、渡らずに帰って来る
・お花畑のような平和で美しい場所を見た
・死者の霊や神との出会い
多少の差はあるにせよ、臨死体験者の多くは上記のような体験を語りますから、単なる夢と考えるのには無理があるでしょう。特に注目すべきは、臨死体験者は皆、三途の川を渡らずに帰って来ていることです。
三途の川までは行くものの、先に亡くなっている両親や祖父母、親戚などに出会い「まだここに来るのは早い。帰りなさい」などと言われて現世に戻って来るパターンが多いです。臨死体験者たちはなぜ同じような体験を語るのか、三途の川を渡ろうとして止められるのかなどが臨死体験を解明するヒントになるかもしれません。
死後の世界でも意識があることについての研究
量子力学以外の方法でも、死後の世界で意識があるかどうかについての研究が進んでいます。そのひとつが臨死体験や亡くなった人を観察する方法です。人は無くなってからでも3分間は意識がまだ存在しているそうです。
その3分間に何があるのかを観察することで、死後の世界に意識があるかのヒントになると考えられます。
臨死体験は幻覚なのか
麻酔薬や幻覚剤の使用によっても、臨死体験と同じような現象が起きることから臨死体験は脳内の化学的な変化に過ぎないという意見もあります。しかし、臨死体験者の多くが体験後に人生観や死生観までも変わってしまうことを考えると、現世での医学や科学常識レベルで考えても正しい答えは出ないでしょう。
臨死体験から生還すると、競争社会で勝ち上がることにこだわっていたような人が経済的な成功にこだわらなくなる傾向が強いです。論理や常識では理解できない神秘的な体験が価値観を変えてしまうのかもしれません。
臨死共有体験が物語る死後の世界の存在
臨死体験について、単なる脳内現象に過ぎないと否定的な意見がある一方、臨死体験の中には「臨死共有体験」と呼ばれる現象が少なからず報告されています。
この「臨死共有体験」とは、亡くなりかけている人の家族が臨終を看取ろうとしているときに患者が見ている、あの世からのお迎えの光景をまわりの家族も同時に見ている現象です。
これから亡くなる人だけでなく、まわりの家族までもが同じ光景を見ているとなると、単なる脳内現象では説明がつきません。脳内現象というよりも、亡くなっていく患者と家族の意識が同調していると考えられます。海外でも同じ現象が少なからず報告されているのを見ても、決して珍しいことではないようです。
科学的に証明されてはいませんが、死後の世界の存在を前提に検証すべきでしょう。
霊感が強い人には魂が肉体から抜け出るのが見える
霊感が強い霊能者などは魂を霊視することができ、臨死体験で魂が肉体から抜け出るのを見ることができます。普通の人間には魂が抜け出るところを見ることは難しいですが、何度も患者の臨終の場面に立ち会っている医師の中には、魂が肉体から抜け出る瞬間をわずかながら体感できると語る人もいます。
霊能者ではない医師には当然ながら魂をはっきり見ることはできないものの、肉体から何かが外れていくのを感じるそうです。早い人なら亡くなる3日前、遅い人でも臨終の直前に肉体から何かが外れるのを感じるそうです。
臨死体験を通じて専門家の意見が変わることがある
物理学的見地では、意識が肉体から完全に分離しないと死後の世界は存在できないとされています。また、臨死体験は死後の世界の証明になるかについて3000人以上の医師にアンケートしたところ、8割が否定的だったそうです。その根拠として挙げられたのが死の直前に苦しみを抑えるため脳が見せている幻覚だというものです。
死後の世界を否定する見解にはもっともらしい説得力があるものの、それでも説明がつかないという意見もあります。このような反論をするのが医学や科学の素人ならそれほど説得力がないかもしれませんが、現役脳外科医による主張であるため、死後の世界の存在を考える上で注目に値します。
もともとは死後の世界を信じていなかった脳外科医が自分自身の臨死体験を通じて、それまでの意見から180度変わって、死後の世界を確信するようになったそうです。その人は髄膜炎によって死の淵をさまよった際の臨死体験をしていますが、髄膜炎によって、脳の知覚する部分が損傷していたため、幻覚を見ることができない状態でした。にもかかわらず、臨死体験の際に見た景色や見たことがない女性のことをはっきり覚えていました。
医師や科学者などの専門家でも、自分や身近な人の臨死体験で意見が変わることが少なくありません。
死後の世界はないことを証明できるかの結論
死後の世界はないことを証明できるのかについて、次のように結論付けることができるでしょう。
現代の科学でも死後の世界がないことを証明できない
これほど科学が進歩している現在でも、死後の世界がないことを科学で証明することはできません。いくら科学が進歩しているようでも、科学ではまだまだわからないことの方が圧倒的に多いからです。
むしろ、量子力学などの科学が進歩するほど、死後の世界が存在することを証明することになるでしょう。現在でも、死後の世界が存在しないことを証明する以上に死後の世界が存在することを証明するデータの方が圧倒的に多いです。もともとは死後の世界に否定的だった人でも、臨死体験を通じて意見を変えることもあります。
科学は実験の学問
科学は実験の学問ですから、理論だけでは死後の世界がないことを証明できません。ノーベル賞を獲るほと優秀な科学者でも、頭で考えた推測だけだと9割外れるそうです。あとで実験して確認してみると、当たっているのはせいぜい1割ほどで、9割は外れるのが科学界の常識です。
科学理論として権威ある学会に認められるためには論文を書くだけではダメで、何度も実験して間違いなく理論として成立することを学会で発表して認められなければなりません。
死後の世界がないことを証明するために実験を繰り返せるほどの材料やサンプルがないことも障壁になります。
脳科学は意識を解明できない
脳科学では、人間の思考や精神活動は脳や神経を含む肉体活動によって引き起こされると考えられています。魂の存在を完全に無視しているので、魂や潜在意識によって精神活動や肉体活動が維持されている事実を認めない点で非常に無理があります。脳の構造は15%ほどしか解明されていませんから、脳や肉体に限定して意識を捉え続ける限り、脳科学では永久に意識の存在を解明できないでしょう。
占いがなぜ当たるかを科学では証明できない
占いや霊能者による霊視がなぜ当たるかを科学的に証明することもできません。占い師が相談者の話や仕草などから判断してそれらしいことを言うとされるコールドリーディングという手法で当てているように見せていると言われていますが、それは正しくないでしょう。実際によく当たる占い師や霊能者の鑑定を受けてみれば、コールドリーディングなどという小手先のテクニックではないことがわかります。
もちろん、コールドリーディングで当てているように見せている占い師や霊能者もいるかもしれませんが、本物の占い師や霊能者であれば、そのようなテクニックに頼ることはないでしょう。
死後の世界がないことを証明するのは悪魔の証明
何かが「ないことを証明する」ことは「悪魔の証明」と呼ばれ、事実上不可能に近いことです。「悪魔の証明」とは、証明することが不可能か非常に難しい事象を悪魔に例えたもので、中世ヨーロッパのローマ法の下で土地や物品などの所有権が誰に帰属するかを過去に遡って証明することの難しさを比喩的に表現したのが最初です。
死後の世界が存在しないことを証明することも、事実上不可能だと言えるでしょう。これからの未来で量子力学や量子コンピューターが飛躍的に進歩すれば、死後の世界が存在するかどうかをはっきりと証明あるいは否定ができるようになるかもしれませんが、現段階ではまだまだ証明することはできません。
おわりに
死後の世界が存在するかしないかについては古くから議論がありましたが、量子力学などの科学の進歩で近年、議論がさらに加速しています。アメリカでも40年ほど前から死後の世界の研究が盛んになり、現在も死後の世界があると主張する専門家と、死後の世界は存在しないと主張する専門家が対立しています。
死後の世界は存在しないとする否定派の代表的な専門家のひとりが「車椅子の物理学者」として知られた英国のスティーブン・ホーキング博士でした。ホーキング博士は量子力学の観点から死後の世界を否定し、「人間の脳はコンピューターと同じ。脳がその機能を失えば人間の意識もなくなる」と語っていました。
脳科学の分野でも、意識というのは脳や神経を含めた肉体活動によって発生するものであり、肉体が死ねば意識を維持することができないと考えられています。これら、死後の世界を否定する理論には一定の説得力があるとしても、意識の根源が脳や神経ではなく、魂だと考えたら180度結論が変わってしまうでしょう。
臨死体験をすると、もともとは死後の世界を否定的に考えていた人でも肯定派に変わることが多いのを見ても、臨死体験は死後の世界が存在する証拠のひとつになるでしょう。しかし、臨死体験で見てきた死後の世界が本当に死後の世界と呼べるかは議論があり、決定的な証拠とは言えません。
臨死体験をするほどの命の危険がある中で幻覚を見ただけかもしれませんし、まだまだ死後の世界が存在すると断定はできません。一方、死後の世界がないことを証明することは「悪魔の証明」と言われ、死後の世界が存在しないことを証明することは、死後の世界が存在することを証明するよりもはるかに難しく事実上不可能です。
将来的に科学が飛躍的に進歩すれば、死後の世界が存在するかどうかがはっきりするかもしれません。しかし、そのときは死後の世界が存在しないことよりも、存在することが証明される可能性の方が高いでしょう。
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