一瞥体験というのは、ほんの一瞬悟りの世界を垣間見る体験のことをいいます。
スピリチュアルの世界ではよく使われる言葉なのですが、体験の内容は人によって表現の仕方も違いますし、体験した内容も違います。
本記事では、一瞥体験とはどんなものなのか、一瞥体験をすると起こることや一瞥体験の感覚を持続した結果たどり着く到達点などについてご紹介していきます。
一瞥体験について興味がある方は、参考にしてみてください。
一瞥体験とは
一瞥体験という言葉はスピリチュアルや悟りに興味がある人なら一度は聞いたことがある言葉でしょう。
一瞥とは、ちらっと見る、垣間見るという意味の言葉であり、一瞥体験とは「悟りの世界をチラ見する」という意味で使われています。
より具体的な言葉に置き換えるのであれば、ほんの一瞬のうちに宇宙の本質や悟りの世界を垣間見たような状態です。
私たちは、普段は個人の意識を通して現実を体験していると感じています。
しかし、一瞥体験をするとすべては逆だったという宇宙の本質、この世の仕組みに気が付くことになるのです。
一瞥体験を「ワンネス」「覚醒」と表現することもありますが、悟りの世界のスタートラインに立った状態と言い換えることができるかもしれません。
その世界では「言語」が存在せず、すべて感覚的な体験であるため、表現者によってどのような体験だったかは変わってきます。
言葉や思考での理解を超えた感覚で物事の本質の世界を感じることができるのが一瞥体験です。
普段、何か起こった出来事にあれこれ悩んだり、考えたり、時には傷ついたりしてしまったりしますが、本当はそれを経験したかったのだと思考ではなく、感覚として理解することができるのです。
一瞥体験をすると起こること5つ
一瞥体験をするとどのようなことが起こるのでしょうか?
ここでは、一瞥体験をした人達の体験談を元にして一瞥体験をした時に主に起こること5つをご紹介していきます。
絶対的な安心感を感じる
一瞥体験を経験するとしばらくの間は「絶対的な安心感」を感じることができます。
ここでの安心感には安心感の元になる対象を何も必要としません。
私たちは、安心感を得るために何かの対象を必要としています。
「お金があるから幸せ」「結婚しているから幸せ」「大企業に勤めているから幸せ」という風に何かを持っているから安心と安心できる対象を必要とします。
しかし、一瞥体験をした時には、このような限定的な幸せではなく、絶対的に安心だと言葉や理性ではなく感覚として理解することができるのです。
一瞥体験をした人の中には、心が安らいでとめどなく涙が流れてしまったという人もいるぐらい。
何をしていても、何も持っていなくても、「ただ存在するだけで良かったんだ」という事が心底腑に落ちるのです。
一瞥体験をした時には、不安や恐れ、不満というネガティブな感情は一切なく、幸せ、安心、愛というポジティブな感情だけを感じることができるのです。
そして、自分は今までもずっとその世界にいたのに、気付いていなかったと理解できるのです。メガネをかけているのに、メガネを探していたというような状態ですね。
人は、本来生まれたときには誰でもこの世の仕組みを理解しています。
成長するにつれ知識が増えることにより、刷り込まれた常識や価値観を通してしか現実を見られなくなってしまい、真理から離れていってしまうのです。
ただ、今までの遠回りに見える経験も必要な過程だったとこの時に気が付くことになるのも事実。
その事実に気付いたからこそ、絶対的な安心感を感じることができるようになるのです。
喜びや感動が持続する
一瞥経験をしたしばらくの間は、喜びや感動の気持ちが持続することになります。
何もかもがつながっていたことが腑に落ち、存在しているものすべてに自然と感謝の念が湧いてくるのです。
そのため、何を見ても喜びを感じ、何が起こっても感動するという状態が続きます。感受性の強い方などは、何を見ても涙を流すほど感情が高ぶる場合もあるほどです。
何も恐れることはなく、何も不安を感じることはないことが理解でき、無敵状態に。マリオがスターを入手した時のような状態ともいえますね。
どれぐらいの期間持続するかは、人によって違いますが、数週間程度持続する人がほとんどです。
世界の見え方が変わる
一瞥経験をすると世界の見え方が180度変わります。
今までは、現実は自分の意志とは関係なく存在していたように感じていたのが、現実を想像していたのは自分自身だったと理解することができるからです。
現実に主軸を置き自分は従属するしかないと思っていたけれど、本当の主軸は自分自身だったのだという視点で世界を見ることができるのです。
リアルに感じていた世界が仮想空間だったと気づき、世界が実は幻想であったと悟ることになるのです。
映画『マトリックス』の世界観に通じるものがあるのですが、この世界に実態はなく、自分自身の中から生まれていたものだと気づき、本当の幸せについて考えられるようになっていくのです。
現実は、ただの映写機であることに気付き、自分の内面に意識を向ける機会が自然と増えていきます。
今までの価値観がなくなっていく
一瞥体験をすると、今までの価値観は崩れ去っていきます。
人は、生まれてから様々な常識や価値観に触れて、自己形成していきます。そして、ここが作ったフィルターにより世界を見ることになります。
そのため、幸せになるには富や名声、地位などが必要であると信じ、それを得るために必死に頑張るわけですが、それらすべてが本当は必要なかったことに気が付くのです。
本当の幸せはありのままの自分で生きることなのだと気づき、起こる体験すべてを心から楽しむことができるようになっていくのです。
また、本当は時間は存在せず過去も未来もなく、あるのはただ今だけだったと気づき、今ここにあることを大切にできるようになっていきます。
過去や未来が存在しない事がわかると、過去に対する後悔や未来に対する不安も自然と消え、今目の前のことに自然と集中できるようになるのも一瞥体験を通して起こることです。
虚無感に陥る
一瞥体験をしてから数週間は、絶対的な安心感や高揚感を感じるのですが、時間がたつにつれその感覚が薄れていき、徐々に虚無感を感じるようになってしまいます。
一瞥体験とは、ほんの少し悟りの世界を垣間見ただけの状態です。
そのため、一時的に世界の仕組みが分かり、圧倒的な安心感を感じるのですが、日常生活を送る内に少しずつ元の感覚に戻っていってしまうのです。
悟りには段階があるといわれており、一瞬ですべてを悟る人はほんの少数です。
多くの人は、少しずつ段階を経て悟っていくようになるのですが、一瞥体験をした人は、スタートラインに立った状態です。
一瞥体験をしたことにより、今までの価値観は崩れ去っているため、頑張ることや生きていることに意味を見出せなくなってしまう場合があるのです。
今までは、富を得るため、名誉を勝ち取るためと頑張る理由があったのが、それらすべてが幻想で本当は意味がないと気づいてしまうと、そのために頑張ることができなくなってしまうからです。
でも、安心してください。一度、一瞥体験をしたということは、悟りの道をスタートしているということ。スタートしてしまった以上は、元に戻ることはありません。
一時的に虚無感に陥ったとしても、必ず次の段階に進むべきタイミングが訪れますので、それまで少しのんびり世界を楽しむぐらいに軽く考えるようにしてくださいね。
一瞥体験をした人の体験談・3つの例
一瞥体験の際の状況に関しては、人によって様々です。一瞥体験を通しての経験は、言葉での理解を超えた世界です。
その時に感じた感覚を何とか自分の中の言葉に変換して表現するために、人によって感じ方が違うのは当たり前。
それでも、やっぱりどんな体験なのかは気になりますよね。ここでは、一瞥体験をした人の体験談をいくつかご紹介していきます。
外の世界と自分が一緒になっていた
こちらの方は、一瞥体験であったことにその時は気付かなったそうです。
一瞥体験で起こるといわれる価値観の変化などを感じなかったことがその理由とのことですが、感覚を言葉にするのが難しいからこそ気付けないという場合もあります。
そのため、人の体験談は参考程度にして、あなた自身の感覚を信じるようにする姿勢が大切です。
一瞥体験は感覚で感じる世界だからこそ、正確に一致する必要はありませんし、文字を読む際にも一字一句理解しようとはしない方が一瞥体験をしやすくなりますよ。
赤ちゃんのように見守られている感覚
一瞥体験をする前に大きな絶望感を感じる人も多くいます。
大切な人との別れ、大きなプロジェクトの失敗など人生に挫折し、現実に絶望したからこそ、自然と内面に集中する時間が増えたことにより一瞥体験が引き起こされるのです。
ただ、一瞥体験をするために、大きな絶望感は必須ではありません。
結果的に引き起こされただけで、必須の項目ではないので、「一瞥体験をするために絶望を経験しなければ」と新たな制限を設けないように注意してくださいね。
世界の感じ方が一瞬にして変わった
一瞥体験をした時の詳細を動画で説明されています。
一瞥体験までの流れを時系列で説明されているので、その時の衝撃や感覚がリアルに伝わってきますね。
人は、個を通して世界をみているため、見える世界がそれぞれに変わってきます。
しかし、一瞥体験が起こると、その個という存在が自分の全部ではなく一部だったことに気が付き、すべてを含めた大きな視点が本質の自分であることが理解できるのです。
個の自分をエゴという言い方をすることもありますが、エゴを通して視点でいかに矮小な一部分だったのかに気付きすべてが完璧であったということが心底腑に落ちるのです。
でも、だからといって世界は終わりませんし、個である自分が消滅するわけでもありません。
ただ視点が変わるだけ。ルビンの壺の如く人が向かい合っているように見える視点もあれば、壺に見える視点もある。
両方の視点を持っていて、自分でどちらを見るかを選択しているだけなんだと気づくことが一瞥体験だともいえるでしょう。
一瞥体験の体験談を読むときの注意点
一瞥体験についての体験談を他にも知りたければ、「一瞥体験 体験談」と検索すれば世界中のたくさんの人の体験談を読むことができるでしょう。
中には、動画で説明してくれている人もいるため、色々な体験談を知ることも大切。
ただ、人の体験談はあくまでも参考程度にするように留めておいてください。
「紫」という言葉を聞いたとしても、百人がいれば百通りの紫があるように、言葉は言葉であるがゆえの制限を受けます。
一瞥体験は、そういう言葉での理解を超えた世界であるがゆえ、人の言葉を介した時点でどうしても制限された表現になってしまうからです。
一瞥体験をした人の体験談通りでないといけないと思いすぎると、実際の真実から遠ざかってしまいます。
映画やドラマを観る感覚で、「そういうこともあるのか」と軽く読み流す程度で十分です。
一瞥体験があるという事を知った時点で、あなたは悟りの世界に足を踏み入れています。
後は、最善のタイミングであなたにも訪れますので、その日を楽しみに待つぐらいの気楽な気持ちでいるようにしてくださいね。
一瞥体験をする方法
一瞥体験に興味がある人は、「どうすれば体験できるだろう」と考えてしまうものですよね。
ただ、確実に一瞥体験を再現できる方法は正直ありません。
体験した人の報告で多いのが「ボーっとしていた」とか「絶望して思考停止状態だった」という意見です。
とはいえ、それは直前の行動で合ってそれが直接的に一瞥体験に結びついているかどうかは定かではありません。
一つ言えるとするならば「一瞥体験をしよう」という意図であったり、興味であったりという気持ちは必要だといえるでしょう。
水を飲むという単純な行為であっても、ただ座っているだけでは水が飲めないように、「水を飲もう」という意図があってこそ、実際に水を飲む行動が始まります。
水を飲むことも、一瞥体験も、行為の内容に違いはあれど、難易度の差はありません。
「一瞥体験をするのは難しい」と感じているのであれば、そう感じているのは誰なのでしょうか?そう問いかけると、何かが理解できるかもしれませんね。
ただ、確実な再現性はなくても、一瞥体験をした時の感覚を得やすい行動というのはいくつかあるので、それをご紹介していきますね。
一瞥体験の情報を読む
まずは、一瞥体験がどういう体験なのかについての情報や体験談を色々読むことをオススメします。
一瞥体験を経験するためには、そういう体験があるのだと知るところからスタートします。
リンゴを食べようと思ったら、リンゴの存在を知らなければ、食べたいとも思わないし、食べる事もありません。
それと同じで、一瞥体験を経験したいのであれば、一瞥体験があるという事を知り、それがどんな経験なのかを知ることは大切です。他の人の体験談を読んでみるのもいいでしょう。
ただ、体験談を読んだり情報を読むときも鵜呑みにする必要はありません。「そういうこともあるのか」というスタンで、読み飛ばす程度で大丈夫。
一字一句正確に理解したり、暗記したりする必要はありませんし、そうすることは逆効果になってしまう場合もあります。
あなたの体験はあなたにしか体験できません。あなた自身の感覚を何より大切にして、人からの情報は参考程度にしておきましょう。
内観
普段私たちは無数の思考を繰り返し、その思考によって感情を引き起こしています。
むかつく人の事を考えて腹を立てたり、好きな人のことを考えて心躍らせたりというように常に何かを考え感情を感じています。
内観というのは、自分の心の流れを一歩引いた視点で眺めるということ。
内観を続けていく内に、自分がどんな事に反応しているのかが少しずつ分かるようになっていきます。
継続していると、自分の心の感情のパターンの元になっていることに気付くはずです。
そして、どこかのタイミングでその感情を見ている視点の存在を知り、その視点から見ると何も問題がないという安心感を感じるようになります。
その視点が一瞥体験をするときの視点に近い感覚です。
その視点にとどまる時間が長くなればなるほど心が自然と穏やかになり、一瞥体験を体験しやすい状態になっていくでしょう。
瞑想
瞑想中に一瞥体験をしたという報告は非常にたくさんあります。
瞑想とは、日頃の雑念から離れてただひたすら静寂の世界に漂うことをいいます。
ただ、瞑想は苦手という人も多いのではないでしょうか?
雑念が収まらなかったり、途中で寝てしまったり、周りの音などが気になったりと集中して瞑想するのはなかなか難しいもの。
瞑想のコツを上げるとすれば、うまくやろうと意気込み過ぎない事です。
気を楽にして、ただ自分の内側に語りかけるような感覚で少しずつ慣れていくといいでしょう。
瞑想の型にこだわりすぎず、普段の自分の思考からちょっと離れてみるという軽い感覚で取り組むところから始めてみるといいかもしれません。
もしくは、呼吸に集中したり、深呼吸をしたりすると瞑想がやりやすくなりますよ。
信じる
一瞥体験を起こすのに一番必要なのは、そういう経験があるのだと信じる事です。
あなたの世界の認識はあなたが決めています。
あなたが「そんなものはない」と思えば、そういう世界が展開され、一瞥体験を起こすことはできないでしょう。
そのため、一瞥体験を経験したいのであれば、そういった情報に肯定的になることです。
一瞥体験はあるのだと信じる事で、あなたの世界には一瞥体験がある世界が展開され、いずれあなた自身も体験することができるようになります。
「信じる者は救われる」なんて言葉もあるように信じるところからすべてが始まるということと、あなたの世界の認識はあなたに決定権があるという単純な事実を忘れないようにしてくださいね。
一瞥体験をするスピリチュアル意味
一瞥体験や覚醒した人の話を聞いてると選ばれし人なのだ、すごい人なのだと感じるかもしれませんが、決してそういうわけではありません。
一瞥体験は悟りのスタートラインであり、そこから本当の意味での自己に気付く過程が始まります。
ただ、真理の一部垣間見ることができるため、真理に気付くきっかけにはなるでしょう。
だからといって、一瞥体験をしたからそく今までの個の自分が消滅するわけでもありませんし、相変わらず世界は目の前に展開し続けます。
中には、個の自分であるエゴや思考の罠にはまってしまい、今まで通りの場所に戻ってしまう場合もあり、一瞥体験をした人すべてが完全に悟るというわけではないんです。
一瞥体験は、あくまでも悟りのスタート地点であり、真理に気付き続けることや、真理を求め続ける事で本当に意味で自己が消滅していく悟りの世界を完全に理解できるようになっていきます。
理解するには、知識だけの理解ではなく、体験として納得することも必要です。
納得をするために一瞥体験をして一瞬だけ真理の世界を垣間見せて、あなたの気づきを促しているのかもしれませんね。
一瞥体験をした人のその後は?どんな生活をしている?
一瞥体験をした人がすべて悟りの世界に入るかといえばそんなことはありません。一瞥体験をした後も今まで通りの日常を送っている人が大半です。
朝が来れば起きて、お腹が減れば食欲を満たし、夜になれば寝るという普段通りの生活を行っています。
ただ、現実に対して大きなリアクションをすることはなくなっていきます。
それが感情がなくなるという事ではなく、今まで以上に今の気持ちを大切にし、今目の前のことに集中しながら生きていくようになります。
ネガティブな感情も完全になくなるわけではなく、怒ったり、泣いたりする感情もありますが、今までのように必要以上に感情に引っ張られるということはなくなります。
それは、本当は自分の内面から世界が広がっていることに気が付いているからです。
すべての事柄が完璧で、自分が完全無欠の存在だと知っているから、目の間にあることを目いっぱい楽しめるようになっていき、自分のありのままを受け入れていけるようになります。
中には、一瞥体験をきっかけに表現者としてスピリチュアル世界の指導者になる人もいますが、すべての人がそういう道を目指すわけでもありませんので、「一瞥体験したらどうしよう」と不安がる必要はまったくありません。
むしろ、誰しもがいずれは経験するものぐらいに軽くとらえて一瞥体験を特別視しすぎないようにしてくださいね。
一瞥体験の感覚を持続した先の世界
一瞥体験の感覚が残る期間は人それぞれですが、数週間程度であるという報告が多いです。
しかし、一瞥体験の感覚を持続持したり、何度も同じ体験を繰り返したりする内にある地点に到達します。
そこは本当の意味での真理の世界「非二元」の世界です。非二元というのは了解のない世界であり、分離する必要がない完全体の世界です。
私たちは、普段二元論の世界で生きています。男女、生死、光と影というように相反する対象が存在するのが二元の世界ですが、その世界は分離の世界です。
だから個別に切り離されたように感じ、孤独感を覚え、無力感に苛まれるような感覚に陥ってしまうのですが、本来の世界は分離のない世界です。
分離がないからこそ、絶対的な安心感を感じるし、揺るがない自信が自然と湧き出てくるのです。
あなたは完全で、完璧で、何からも切り離されていない存在であったことに気付くことができるでしょう。
そのため、その地点に到達するとネガティブな思いや感情からは完全に解放され、自由に生きていくことができるようになります。
そうなったら、もはや元の自分に戻ろうとは思えないでしょうし、むしろ戻ることすらできなくなります。
ただ、最初からその地点を目指そうとする必要はありません。
振り返ったときに今までの経験はすべてここに到達するために必要な過程だったんだということが頭ではなく感覚として腑に落ちるからです。
「そういうもんか」程度に軽く読み流すようにしておいてくださいね。
まとめ
今回は、一瞥体験についてご紹介してきました。
一瞥体験の体験談などを見ると「世界が光り輝いて見えた」とか「愛で満ち溢れていた」という意見も多くありますが、すべての人がそう感じるわけではありません。
一瞥体験は言語での世界を超越したいであるからこそ、その時の感覚をなんとか言葉にしているに過ぎないのです。
一瞥体験についての情報を読んだり、体験談を話している動画を視聴したりするのは大切ですが、その言葉に制限されてしまっていないかはチェックするようにしてください。
あなたの世界の認識の決定権は、あなたにあります。
「一瞥体験をしたからすごい、していない私はダメ」という認識になってしまわないように注意してくださいね。
今回の情報があなたが真実の世界に気付くきっかけになっていたら幸いです。
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