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親の介護とカルマ・スピリチュアルな意味を解説

親の介護とカルマ・スピリチュアルな意味を解説

現代は超高齢化社会といわれていますが、それにともなって考えなくてはならないのが介護の問題です。

若いうちは介護についてどこか他人事でも、親がある方なら誰しもある程度の年齢になってくると、今後の親の介護についてを考えるのではないでしょうか。

兄弟や姉妹との話し合い、老人ホームへ入所させるか自宅で介護をしていくのか、そしてどの程度第三者の手を借りるか、本人の意思としてはどうしたいのかなど、一言に介護と言ってもあらゆる方法がありますよね。

今回はそんな「親の介護」をテーマに、スピリチュアルな見解もまじえてお話ししていきたいと思います。

親の介護が必要になる意味スピリチュアルで紐解く

私たちの魂は、産まれる前から決まっている解消すべきカルマがあり、乗り越えるべき魂の試練をもってして、この世に生を受けています。

魂には「時間」という概念はないので、私たちが前世で解消できなかったカルマは、今世、来世へと持ち越して何度でも繰り返すのですが、親の介護もまた、仕組まれた魂のプランのひとつであるといえます。

また、元気だった親の介護が必要になった時、そこには一体どんなスピリチュアルメッセージがひそんでいるのでしょう。

仲の良い関係性の親子であるのなら、親が今世を終える時が近づいて、ただただ弱っていく姿を見続けながらの介護になると、子供である介護者の精神的ダメージもおのずと大きくなります。

それでも後悔のないようにと現実と向き合っていくならば、それは必然的に精神の修行になります。
修行ときくと、滝行や座禅を思い浮かべる方が多いでしょうが、実はスピリチュアルな世界での「修行」の概念は、こうであるとあらかじめ決まった形式のことだけをさしているわけではありません。

ふりかかる災難や苦難、そういったことといかに向き合い乗り越えていくかを天から試されているのです。

つまり親の介護が必要になる時は、子供にとってはまさに成長の時である、ともいえるのかもしれませんね。

親の面倒をみるスピリチュアル意味

老人ホームやヘルパーに任せず、自分が主な介護者となる選択し、年老いた親の面倒をみることにはどのようなスピリチュアルな意味があるのかを、こちらの項目で解説していきます。

霊格の向上

スピリチュアルな世界では、この世に生まれてから身にふりかかる不幸や幸せ、それらの全ては魂の修行、試練であると考えられているというのは上記でも少し話しましたが、いくら身内といえども、親の介護は精神的にも体力的にも、ケアする側に多大なる負担がのしかかります。

しかし、望んで親の介護に積極的に携わり、最期まで面倒をみると決断したことによって得られる「気づき」があります。

葛藤のなかでうまれる疑問から、自分なりの答えを導き出し、それをしっかりと受け止め、魂の一部にできた時、霊格が自然とあがります。

のりこえることで飛躍的に魂の成長が期待できる大きな試練が、人生の中で何度か与えられるとスピリチュアルな世界ではいわれていますが、それがまさに親の介護だというパターンもあるということです。

徳を積む

スピリチュアル的観点からみた成功や幸せは、精神を磨いて魂のレベルを上げることだといわれています。

成熟した魂であればあるほど、より高次元な存在となれるのですが、そのような魂をもつ方は、現実世界で人格者と呼ばれる人物であることが多いです。

そして親の介護に積極的に関わっている人もそうであるといえます。親の介護をどうするかという問題は、親だけでなく子供にとっても、今後の人生を左右する大きな分岐点でもありますよね。

老人ホームやホームヘルパーなど、専門家である第三者に頼るという選択肢がたくさんある中で、あえて自分が介護者になるといったように、大変な道を選ぼうという人は、スピリチュアル的な意味で、より成長できるのはどの道かを無意識下で悟っていることが多いです。

親の介護は、ここからここまでというように、明確な終わりが初めから決まっているわけではないことがほとんどです。

しかし、それでも進んで介護を引き受け、見返りも求めず、日々真心を込めて向き合っていれば、その行いは霊格の上昇にとどまらず、いつの日かあなたの「徳」となり、霊的な次元でしっかり還元されることでしょう。

親の介護から学べることは多い

親の介護によって得られることは、物質的なもの以外に数多くあるといわれています。

そんな親の介護を通して学べる代表的なことを一つあげるなら「見返りを求めない精神」です。

自ら望んで親をケアすると決めた介護者には、自己犠牲の精神がそなわっていて、奉仕ともいえる愛が前提にあります。それは天界の価値観でみればとても尊い行いです。

しかしこの世の価値観と、天界の価値観にはとても大きな違いがあります。

だからこそ「介護によって縛られているあの人は可哀想だ」と第三者は感じることもあるかもしれません。

ただそれは現世の価値観でしかありません。

この世の幸せや成功がお金持ちになることだとしても、スピリチュアル的にはあくまでこの世は魂の修行場にすぎないでしょう。

現世でいくらお金を手に入れようと、次の世には持ち越せません。

介護によって「無償の愛を知った」ということが最大の財産であり、魂の学びだといえます。

親の介護とカルマ

自分の行いはいずれ自分に返ってくるといわれているカルマの法則ですが、親の介護もその法則に当てはまります。

親から限りない愛情をむけられ育てられた子供と、幼い頃からぞんざいな扱いをされながら育ってきた子供では、当然ながら親の介護に対する思いがまるで変わってきますよね。

愛情をかけながらも個人を尊重し、大切に育ててくれた親のことを憎いと思う子供はいません。

しかし、幼い頃から罵倒され、尊厳を踏みにじられ、苦しみばかり与えてきた親の介護をしたいと思う子供が、一体どれほどいるでしょうか。

体が弱ってきていざ介護が必要になった時こそ、親子の関係性は如実にあらわれるといわれています。

とはいえ、どんな親でどんな関係性であったにしても、昨今さまざまな事情があるので、親を介護したい気持ちはあるけれど、自宅でつきっきりでみるのは難しいという人も多いかでしょう。

そのような場合でもカルマの法則によって、介護の形や本人にとっての良し悪しは大きく違ってくるでしょう。

愛情をかけてもらった子供なら、介護が必要になった親には、良い環境で過ごしてほしいと思うのが自然な感情です。

訳あって自分が自宅でみることが叶わないなら、お金をかけてでも評判の良い老人ホームへ入所できるように手続きをしてくれたり、頻繁に顔を見せにきてくれたりします。

しかし、子供に対して愛情をかけずに育ててきた親の場合、介護が必要になった時に子供を頼っても、自分がこれまで子供にしてきたような対応しかしてもらえません。

何故ならそれがカルマの法則であり、自らが招いた因果なのです。

子どもに介護をさせる親は悪?

一般的には、子供にはなるべく苦労をしてほしくないと思うのが親心ですが、それでは子供に介護をさせる親は悪になるのでしょうか。

まず子供が親の介護をする経緯は大きく分けて2パターンあります。

ひとつは、子供自身が望んで親の介護をしているパターンです。

この場合の子供には、親に対する感謝や深い愛情があり、これまでの恩返しの気持ちを込めていたりもするので、決して強制されたものではありません。

そこまで深い愛を子供に向けられているということは、それだけ深い愛をもって子供を育ててきたということです。そのような親が悪だとはいえませんよね。

2つめは、わけあって福祉サービスに頼れなかったり、親や兄弟に強制されて介護をしているパターンです。

色々な事情により、望んでもいないのに逃げることが許されず親の介護をしている人は、望んで取り組んでいる人に比べて、精神的ストレスのかかり具合が大幅に違います。

そうして病んでいく子供に気づいていても、自分の希望や気持ちを優先して面倒をみなさいという親は悪だといえるのかもしれません。

親の介護と引き寄せの法則

スピリチュアルな世界での引き寄せの法則は、感情と波動が連動しているといわれています。

辛いときこそ泣いてばかりいるのではなく、笑顔をつくる。

ネガティブな気持ちになってしまった物事は、ポジティブな意味にとらえられるように自分のなかでプラスの意味をもたせる、といったように、何事も良い面を探すことで波動をコントロールし、その結果幸せをも引き寄せられるという考え方です。

「親の介護は辛いだけ、大変なだけ」と常々思っていては、引き寄せの法則にのっとってその通りの介護になってしまいます。

そこで親の介護によって得られるプラスの面を探してください。

スピリチュアル的観点からみた学びや気づき、親の介護によって得られるものなどを知り、心持ちがプラスに変えるだけで、大変なだけだと思っていた毎日の受け止め方が、おのずと変わっていきます。

親の介護が辛いとき

親の介護をするにあたって、学びによっての気づきや、スピリチュアル的にどのような意味があるのかを上記で話してきましたが、必ずしも自らが親の介護をすることが、絶対的な正解というわけではありません。

親の介護をしたいといったのは自分だからと、辛いという感情から目を逸らし続け、自分自身を追い詰めることになっては元も子もありません。

これまで育ててもらった恩や、愛情を返したいという思いは尊いものですが、真面目で誠実、責任感が強く、人から受けた恩は忘れない、といったように律儀な人ほど陥りがちな介護の弊害があります。

それは、なんとかしようと全て1人で抱え込んでしまうことです。

その結果ケアする側が、追い詰められて介護鬱になってしまうというケースは少なくありません。

辛いと感じたときには、頼れる行政のサービスや、ホームヘルパーのような地域の福祉に助けを求めてください。

介護に限らず誰しも心に余裕がなくなると、人のことまで気にかけていられなくなるものなので、まずは自分の心を大切にする、ということを日頃から意識しておきましょう。

親の介護を楽しむ方法

親の介護に疲れてしまった人には是非読んでほしいのがこちらの項目です。大変なことの多い親の介護からもみいだせる楽しみには、どのようなことがあるのかいくつか紹介していきますね。

ブログ、文章を書く

1日の終わり、疲れているなら数日に1度の頻度でもブログやエッセイを綴ってみてください。介護で辛かったことや嬉しかったことを文章にしてまとめていくと、自分の感情をこまめに整理できるようになります。

忙しい毎日で見逃してしまいがちな小さな幸せや、ケアする側がなかなか自覚しにくい心のSOSなどに、気づくキッカケになりうるのです。

日記のように紙に書いてまとめるのも良いのですが、特にオススメなのはブログを書くことです。

ブログを通して繋がりができた人達には、現実世界の知り合いには言えないようなことまで気軽に話せるという方も多くいらっしゃいます。

特に同じ介護者という立場の人と繋がる場にもなるので、介護者にしか理解されない悩みや弱音も吐きだせるようになります。

そうして励まし合う相手ができることで、介護での悩みや孤独感が薄まるということもありますよ。

親とのこれまでを振り返る

親の介護をしながら、これまで親が自分にしてくれた事を振り返ることが楽しいという介護者の方もいます。

スプーンで食事を口に運んであげながら、「自分も赤ちゃんの時は親がこうしてくれたんだな」と思い、入浴介助の際には、「不潔にならないように毎日身体を洗ってくれたんだな」、といったように介護を通じて、親のこれまでの苦労や、与えてくれた愛に思いを馳せ感謝しながら、懐かしい思い出を振り返り、大変な介護を乗り切ったというケースもあります。

まとめ

親の介護について、スピリチュアルな観点も交えてお話ししてきましたが、いかがでしたでしょうか?

仕事として携わる介護とは違い、親の介護によってえられる学びや気づきがあることなどがわかりましたね。

自分を育ててくれた親に対する最後の恩返しと、いう気持ちをもって介護と向き合うことで、与える愛の喜びを知ることもできます。

しかし、人生の試練がもたらすスピリチュアル的な成長、霊格の上昇が親の介護を通して期待できるからといって、何もかもを自分だけでなんとかしようという考えは危険です。

長引く介護に心が疲れてしまうこともあるでしょう。

そんな時はまず自分のことを大切に、心身を労わる癒しの時間を作ってください。頼れるところは人に頼って、時には専門家である第三者の手を借りることも必要なのです。

真面目で責任感が強い人ほど、くれぐれも介護うつにならないように、日頃から自分自身のメンテナンスにも気をつけて親の介護とうまく付き合っていってくださいね。

コメント

  1. るうら より:

    心が楽になりました☆ありがとう!