マインドフルネスにおいて推奨されているような瞑想は、禅の修行法がもととなっています。
しかし、修行とはいっても、方法そのものは、われわれにも簡単に実践することができるようなものが多いです。その中でも、一歩ずつ歩くことに意識を向ける瞑想は、マインドフルネスでは、歩行瞑想(マインドフルウォーキング)とよばれています。
歩行瞑想は、簡単に実践することができます。足が不自由でなければ、歩くことは、だれでも、日常の動作としておこなっていることです。ある意味では、坐禅よりも、歩行瞑想のほうが簡単である、と考えることさえもできます。
この文章では、歩行瞑想のやり方や、効果について説明していこうと思います。
歩行瞑想とは
禅僧の方々が、お寺で本格的に修行をするときには、坐禅をおこなう時間の合間に、経行(きんひん)という『歩く瞑想』をおこないます。座っている時間のほかでも、意識の集中状態を保つために、歩く動作を瞑想として活用するのです。一歩ずつ、歩いている足に注意を向けて、心が離れたときには、ふたたび、意識を足に戻すのです。
禅宗や、曹洞宗では、歩行瞑想は、経行とよばれていますけれども、天台宗では、常行三昧という名称で実践されています。マインドフルネスでは、それらを、心や脳の集中力を維持するための方法である、と解釈して、マインドフルウォーキングとよんでいるのです。
心理学や生理学の分野でも、ウォーキングによるさまざまな効果が証明されています。マインドフルネスにおける歩行瞑想は、ただ宗教的な修行ということだけではありません。それは、科学的にも理にかなっているような、メンタル・トレーニングなのです。
また、歩行瞑想をおこなう意図は、脚のしびれを解消したり、眠気をさます、ということでもあります。坐禅と坐禅のあいだの時間に、足の感覚に意識を集中させることによって、足をいたわりながら、集中状態を保つようにすることができます。
歩行瞑想の効果
不安を和らげる
歩行瞑想では、マインドフルネスにおける集中状態をつくることと、身体的な運動を、同時におこなうことができます。
そして、心の健康と身体の健康には密接な関係がある、という事実は、よく知られています。
ウォーキングをおこなうとき、人間の脳では、セロトニンの分泌が促されます。セロトニンは、神経伝達物質の一つであり『幸せホルモン』とよばれることもあります。このホルモンは、精神を安定させるだけではなく、自律神経のバランスを整える役割をもっています。セロトニンは、脳のさまざまな機能とかかわっているのです。
また、マインドフルウォーキングには、ふつうの歩行とくらべて、うつ病にたいする効果が高いこともわかっています。
ストレスと回復のリズムをつくる
スポーツ心理学の研究をしている、ジム・レーヤーによれば、セロトニンの分泌という現象は、精神的なタフネス(メンタル・タフネス)をもたらす要因のうちの一つです。
レーヤーは、テニス選手のメンタル・コーチでもあります。彼は、トップ・プレイヤーとよばれるような、すぐれた成績をあげる選手たちは、なぜ精神的にタフなのか、ということについて考えていました。
彼が到達した答えは、ストレスと回復のサイクル、ということでした。
運動をするときには、感情や肉体にストレスがかかります。それだけ、エネルギーを消耗する、ということです。
しかし、それだけではなく、ストレスのあとには、エネルギーの回復がおこります。ストレスが大きければ大きいほど、回復量も大きくなります。
つまり、理想的な心理状態をコントロールするためには、ストレスと回復のサイクルが、できるだけ大きくなるように、トレーニングすることが必要です。
もちろん、短時間だけですむような歩行瞑想では、スポーツ選手ほど大きな回復は期待できないかもしれません。
しかし、レーヤーの理論によれば、タフネスを鍛えるためには、軽い負荷から、大きい負荷に変えていくトレーニングが効果的です。ふだんは運動をしないような方々ならば、ウォーキングによって軽い負荷をかけるだけでも、回復のためのサイクルをつくることができます。
もちろん、マインドフルネスにおける歩行瞑想は、注意力を高めて、心の安定をはかることが目的です。
しかし、もしも、歩行瞑想を契機として『本格的なウォーキングに挑戦してみよう』と、一念発起することがあれば、運動を習慣とすることができます。運動をする習慣が身につけば、身体的にも、より健康的な生活を送ることができます。スポーツを苦手としている方々ほど、実践していただきたいと思います。
また、運動を習慣としているような方々でも、ふだんの運動のあとにウォーキングをプラスするならば、負荷を少しだけ強めることができます。負荷が大きければ大きいほど、精神と肉体の回復も、大きくなります。
そして、そのサイクルをつくることができるようになれば、生活そのものにメリハリが出るようになります。
足のしびれをとる
先ほど述べたとおり、もともと、お寺では、足のしびれを解消するために歩行瞑想がおこなわれてきました。長時間にわたって坐禅を組む僧侶にとっては、歩くことに集中する時間をつくることは、合理的な方法なのです。
フィットネスとしての効果
もちろん、歩くだけでも、足腰を鍛えたり、姿勢をよくする、などといったメリットがあります。
たとえ、ご年配の方々でも、身体に無理のない範囲で歩行瞑想を習慣づけるならば、動作の改善も期待できます。
歩行瞑想のやり方
歩行瞑想を精神疾患の治療に導入した学者であった、ジョン・カバットジンは、歩行瞑想の手順について、くわしく述べています。
①歩きはじめる場所を定めて、姿勢を整える。
②ゆっくりと歩きはじめる。はじめに地面につけたほうの足に注意を集中させる。
③足に体重がかかり、もう一方の足が上がり、前方に移動して、地面に降りる感覚を、繰り返しながら、一歩一歩に注意を集中させる。
もしも、角などへ到着したときには、呼吸を整えて、方向転換をします。
方向転換をしたあとも、これまでの進行方向とは異なる方向へ進みながら、歩行瞑想を続けることができます。
カバットジンは、この歩行瞑想を、日常生活の中で自分を取り戻すための方法として紹介しています。ただ歩くことの瞬間に注意を集中させるだけで、生活そのものを、いきいきとしたものに変えることができるのです。
歩く速度は、ふだん歩いているときよりも少し遅めとされています。
これは、マインドフルネスのプログラムにおける歩行瞑想の手順ですけれども、お寺でおこなわれる修行では、宗派によって、やり方が少し異なる場合があります。
歩行瞑想に必要な時間
マインドフルネスでは、歩行瞑想を実践する時間の長さは、5分から10分くらいとされています。
修行のように、静坐瞑想を長時間おこなうときなどの合間に歩行瞑想をはさむこともできます。
しかし、いろいろな瞑想法に挑戦するほど時間の余裕がない、という場合には、日程を決めておこなうとよいです。たとえば、忙しくて静坐瞑想の時間が確保できないような日には、静坐瞑想の代わりに、通勤時間などを利用して、歩行瞑想をおこなうこともできます。無理のない範囲で、マインドフルな時間をつくるようにすることが大切です。
歩行瞑想のコツ
①歩くときの感覚を分割する
できるだけ、一歩の動作をいくつかの動きに分割しながら感じるようにします。たとえば、片方の足を、一歩だけ前進させるあいだの感覚だけでも「かかとを上げる」「つま先を上げる」「前方に移動する」「地面に着地する」という4段階に分けて意識を向けることができます。
②一歩一歩に集中するように、ゆっくりと進む
分割された、それぞれの動作の過程に意識を向けることが重要です。そのためには、ゆっくりと前進しながら、足の感覚を詳細に観察するのです。
それとは逆に、早足で歩いても、感覚に集中することができません。
③ヨガマットを使ってもよい
道具がなくても、歩行瞑想を実践することはできます。このことは、マインドフルネスで推奨されている瞑想法全般にあてはまることです。
しかし、歩行瞑想をするときに、ヨガマットなどを敷いて、歩く場所を定める方々もいます。
おそらく、その理由は『どこからどこまで歩くのか』という範囲を決めたほうがやりやすいからだと思います。
マインドフルネスに、ヨガを組み合わせたプログラムは多いです。もしも、ヨガマットを一枚だけでも所持しておけば、いろいろな応用ができます。
④もしもアイデアが浮かんだら
人間は、歩いているときに、よいアイデアを思いつくことが多いです。創造的な思考は、歩いているときに生まれやすいのです。
なぜなら、有酸素運動には、認知機能を高める効果があるからです。
古代ギリシャの哲学者であった、プラトンやアリストテレスといった人々は、いつも散歩をしながら講義をしていた、という逸話があります。それほど、歩くことは、脳の思考に、よい影響を与えるのです。
ただし、マインドフルネスの実践中には、アイデアは、雑念となってしまいます。そうなると、目の前のことにたいする集中状態が保たれなくなってしまうこととなります。
歩行瞑想では、ネガティブな雑念は、静坐瞑想のときのように、手放します。
そして、ふたたび、歩く動作に意識を戻します。
ただし、もしも、歩行瞑想の途中でよいアイデアが浮かんだときには、メモをしてから、歩くことに意識を戻す、という方法もあります。どうしても逃したくないようなアイデアが湧いたときには、これは、有効な方法です。
歩行瞑想時の呼吸法
呼吸は、深呼吸でおこないます。偶数回呼吸することを心がけると、歩く足の動きと合わせやすいです。
ただし、インドのテーラワーダ仏教では、歩行瞑想の実践において、呼吸よりも、歩くという行為のほうに集中することが強調されています。このことから、歩行瞑想では、呼吸を整える必要があるわけではない、ということがわかります。このときに基本となることは、足と身体の感覚のほうです。だから、呼吸のペースは、直接の関係がないのです。
呼吸を整えることは、自律神経を整える効果はあります。
しかし、呼吸のことを気にするのは、呼吸瞑想や静坐瞑想で注意すればよいことです。
したがって、呼吸を整えることに慣れていないような方々は、呼吸はふだんと同じようにするだけにして、歩く動作だけを意識することをおすすめします。とくに、マインドフルネス初心者の場合には、呼吸瞑想や静坐瞑想などを含めて、呼吸をコントロールする感覚じたいが把握できないような方々もいます。
また、精神的な不安から、精神疾患を発症しているような場合にも、過呼吸などといった症状があるならば、呼吸を整えながら歩くことは、難しいと思います。治療を目的としたマインドフルネスの一環として歩行瞑想を実践するならば、セラピストと相談しながら、実践しやすい方法を考えるとよいです。
通勤時に歩行瞑想する方法
会社へ通勤する時間を有効に使いたい、と思っておられるビジネスマンにも、歩行瞑想をおすすめすることができます。
たとえば、毎日、時間に追われて、電車を乗り換えなければならない、と仮定してみます。
しかし、電車を降りてから、会社まで、徒歩の時間が5分だけでもあるならば、ただ歩いているときの呼吸に集中することを心がけることができます。そのようにすれば、通勤するときの、徒歩5分の部分を、歩行瞑想の時間として活用することができます。
今では、テレワークがあたりまえとなっているような職場が増えてきています。
しかし、そのような業務形態であっても、直接通勤しなければならない用事もあるだろうと思われます。もしも、その時間を歩行瞑想に変えることができるならば、通勤の手間を、憂鬱なことと思わないようになります。
まとめ
ふつうのウォーキングとくらべて、歩行瞑想は、不安を和らげるなどといった、心身どちらにもプラスの効果があります。
また、その実践は、基本的に、時間と場所を選びません。短時間で、集中できる環境ならばどこでも実践することができる、ということは、ほかのマインドフルネス瞑想でも同じことです。すぐに、始めることができます。
歩く感覚を、できるかぎり細かく分割して感じる、という体験は、われわれを、現代の忙しい生活の思考から離れるように促してくれます。歩く動作をゆっくりと見直すことによって、われわれは、時間に追われて早足となりがちな態度に、気づくことができるのです。
コメント