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SPIRITUAL REBIRTH PROJECT 連載企画 第48回 スターシード再⽣⑥

SPIRITUAL REBIRTH PROJECT 連載企画 第48回 スターシード再⽣⑥

YOKU STUDIO による連載企画、SPIRITUAL REBIRTH PROJECT。
「スターシード 再⽣」シリーズ、第6弾です!

前回は、現代スピリチュアルにおける「スターシード」⾔説と、古代の思想運動「グノーシス主義」との類似点について分析しました。

⾁体と魂を明確に切り離し、物質世界を下位に、精神世界を上位に置くというグノーシス主義の構造は、「地球での⽣きづらさ」を強調する「スターシード」⾔説につながるものです。

どちらの思想にも共通しているのは、私たちの⾁体も含めたこの世に違和感を感じ、それとは異なる原初の理想の世界を、⾃分の魂のルーツとして信じていること。

それはある意味で、物質世界における⽣をあきらめ、魂の⾁体からの解放を夢⾒る想像⼒だとも⾔えるのです。

20世紀後半のニューエイジ運動から派⽣した「スターシード」⾔説と、紀元後 1 世紀ごろに起こった古代の思想運動が、なぜ似通っているのか?

今回は、両者が⽣まれた社会情勢に注⽬しながら、グノーシス主義とニューエイジ思想、そして「スターシード」⾔説との結節点にせまっていきます!

・グノーシス主義はなぜ⽣まれたか?

グノーシス主義という、なかなかラディカルな思想が⽣まれた背景としては、諸説あります。

そもそもグノーシス主義は、特定の宗教運動というわけではなく、様々な宗教に影響を受けつつ、そこに寄⽣する形で発展した思想運動なので、それを断定するのが難しいのです。

しかし、主にグノーシス主義の担い⼿となった⼈々がどのような層だったのかについては、ある程度研究が進んでいます。

たとえば、前回の記事でも参照した⼤貫隆⽒は、グノーシス主義は都市部の知識層によって⽣じた現象だったと述べています。

ただ⼀つだけ付⾔すれば、グノーシス主義は社会学的に⾒ると、農村部よりは都市部の現象であった。ヘレニズム時代の地中海とオリエント世界では、思想と宗教の混合は都市部に顕著であった。アレクサンドリアはその典型である。そのような都市部では、⼈間は個別化され、それぞれの伝統的基盤から乖離し、社会的⽅向性と⾃⼰同⼀性の喪失の危機に⾯していたのである。この危機は、強⼤なローマ帝国の⽀配の中に併合されて政治的な禁治産宣⾔を下された東⽅地中海世界の諸⺠族、その中でもとりわけ都市の知識層の場合に深刻であった。グノーシス主義はそのような知識層を主要な担い⼿とする政治的、社会的なプロテストなのである。ナグ・ハマディ⽂書によって明らかになったように、グノーシス主義者の⾃⼰呼称の⼀つが他でもない「王なき時代」(本書第Ⅱ章断章 90、91 参照)であるのは、決して偶然ではないのである。

(⼤貫隆『グノーシスの世界』、講談社学術⽂庫、2014 年、50 ⾴)

当時は、ローマ帝国が⼤きく勢⼒を拡⼤していた時代でした。

ローマ帝国の⽀配下に⼊った東⽅地中海世界の⼈々、とくに都市部の知識層は、「政治的な禁治産宣⾔」、つまり個⼈の⾏為能⼒を制限される状況のもとで、アイデンティティの危機に瀕していた、といいます。

そのような状況下で、アイデンティティの危機を乗り越えるために彼らが⽣み出し、発展させていった思想こそ、現実世界を悪とみなし、それを超えた理想の世界に魂のルーツを⾒出すグノーシス主義だった、と考えられているわけです。

こう聞くと、「グノーシス主義」というのは、政治的・社会的な反抗運動であり、当時の政治権⼒を否定する秘密結社だったのでは…と思えますよね。

・グノーシス主義=平和な時代の思想?

しかし、グノーシス主義者たちがみな、社会的・政治的に過激な運動性を持っていたか、というと、必ずしもそうではなかったようです。

筒井賢治⽒は、キリスト教グノーシス主義が発展した紀元前2世紀ごろは、「ローマ帝国が いわゆる『五賢帝』の時代を迎えて版図が広がり、国内も安定して⼈々が物質的に最も豊か な⽣活を送った時期であった」と述べています。

(筒井賢治『グノーシス 古代キリスト教の<異端 思想>』、講談社選書メチエ、2004 年、42 ⾴)

ローマ帝国は、たしかにどんどんと勢⼒を拡⼤していきましたが、⽀配下に⼊った⺠族に対しても、ある程度の⾃律性・独⽴性を認めており、だからこそ、その巨⼤な領⼟を維持できたとも⾔えるのです。

グノーシス主義はローマ帝国に対する明確な反抗運動だったわけではなく、その⽀配における社会的安定のなかで、知識層によって⾏われたアイデンティティの追求運動だったのではないか、というのが筒井⽒の説です。

ともかく、こうした平和な時代、明⽇をどうやって⽣き延びるか、今⽇死んだ家族や友⼈縁者の葬式をとりあえずどうやって済ませるか、といった本当に切迫した問題から⼈々が解放されている時代、そういう時代にこそ、娯楽⼩説⽂学のようなものが⼤衆的に流⾏するだけでなく、また思想や哲学、宗教といった⽂化的な事柄も⼈々の積極的な関⼼を集め、学習され、発展していく。「我々はどこから来たのか、我々は何なのか、我々はどこへ⾏くのか」―こういった反省的で抽象的な意識が⼈々の間に広まるような社会は、⼈々が現実の死や破滅と毎⽇のように直⾯していた社会ではありえないのだろう。

(同上 44 ⾴)

グノーシス主義の担い⼿が都市部の知識層であり、周縁の農村部で貧しい暮らしを送っているような⼈々ではなかった、ということも重要です。

戦争や飢餓などに苦しむ危機的状況ではなく、⼀定の平和と⽣活⽔準が保障された状況において、内省的な(いわゆる「⾃分探し」のような)思考が発展しやすい、という定式は、たしかにあるように思います。

物理的に安定した環境のなかでこそ、⼈は⾃分⾃⾝が抱える⼼の問題に向き合い、この世の物質世界に対する違和感を深掘ると共に、より⾼次元の世界に⾃らのアイデンティティを求めるのだと⾔えるかもしれません。

・「スターシード」を⽣み出したニューエイジの社会状況

このような、「物理的な安定のなかでのアイデンティティの追求運動」としてのグノーシス主義の性質は、ニューエイジ運動にも通じるものではないか、と思うのです。

ニューエイジは、1945 年に第⼆次世界⼤戦が終戦し、その後の激動を乗り越えた時代、つまり⼀定の平和と⽣活⽔準が保障された時代に、特にアメリカで隆盛した運動です。

この頃は、特に宇宙開発など、最先端の科学技術の発展に対して、⼈々が⼤きな夢を託した時代でもありました。

たしかに東⻄冷戦やベトナム戦争、オイルショックといった様々な動乱もありましたが、少なくとも、当時のアメリカでニューエイジ運動に積極的に加わった都市部の⼈々は、⽣きるか死ぬか、明⽇の⽣活が危ぶまれるような状況には置かれていなかったでしょう。

ニューエイジ運動に、政治や社会の体制に対する反抗という側⾯がないわけではないのですが、どちらかというと、⽂化的・思想的な側⾯が強い運動だったと⾔えます。

世界に対する不満を、過激な暴動などの形で物理的に表現するのではなく、あくまで精神的な活動を通してアイデンティティを模索していくのが、ニューエイジ運動の特徴の⼀つだと考えられます。

その意味で、グノーシス主義とニューエイジ運動の社会的背景は、時代的にはかなりの差があるとは⾔え、共通点があるのです。

グノーシス主義とニューエイジ運動の思想的なつながりは、これまでも多く指摘されています。

⼤貫⽒も、両者の共通点として、個々の⼈間のなかに神性を⾒出すという点を挙げています。

(⼤貫隆『グノーシスの世界』、311 ⾴参照)

しかし⼀⽅で、グノーシス主義とニューエイジ運動の間は、⼤きな差異があるとも語っています。

それは、グノーシス主義は⽬に⾒える世界を悪として否定するのに対し、ニューエイジ運動の世界観においては、「⽬に⾒える宇宙的世界(コスモス)の中ではすべてが調和的に完結し得るのであり、その外部でしか解決できないような悪は不在」だという点。

(同上 312 ⾴)

この指摘はたしかに正しく、ニューエイジ運動には、私たちを包括するこの宇宙そのものとしての「ワンネス」による、ホリスティックな調和を重視する、という特徴があります。

ただしここで注⽬したいのは、そこから派⽣した「スターシード」⾔説、とくに「地球での⽣きづらさ」を主張し、「スターシード」を特権化する⾔説においては、少しその様相が異なる、ということです。

そこには、私たちが⽣きる物質世界をまるごとその内部に含み込んでいるはずの包括的な宇宙、「ワンネス」との統合を主張しながらも、物質世界とは明確に切り離された「⾼次元の宇宙⽂明」を夢⾒るような、ある種⽭盾した態度が⾒られるんです。

つまり、ホリスティックな調和を志向するニューエイジ思想のなかにあって、「スターシード」⾔説にはグノーシス的な世界観が特に⾊濃く反映されており、それがこの⽭盾を⽣んでいると考えられるのです。

そこで次回からは、ニューエイジ運動から派⽣した様々な「スターシード」⾔説を具体的に検討し、それがはらむ⽭盾について深掘っていきます!

どうぞお楽しみに!

翔哉
執筆者

スピリチュアルカウンセラー。YOKU STUDIO 代表、ナチュラルプラネット(下北沢のカウンセリングサロン)オーナー。豊富なカウンセリング・指導経験を生かして、スピリチュアルを理論的・実践的に捉え直し、日常生活に根ざしたものにしていくために活動しています。

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