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SPIRITUAL REBIRTH PROJECT 連載企画 第41 回 輪廻転⽣ 再⽣ ⑭

SPIRITUAL REBIRTH PROJECT 連載企画 第41 回 輪廻転⽣ 再⽣ ⑭

YOKU STUDIOによる連載企画、SPIRITUAL REBIRTH PROJECT。

今回は、「輪廻転⽣ 再⽣」シリーズの番外編です!

前回は、古今東⻄の「輪廻転⽣」観の考察を踏まえて、アセンションした「輪廻転⽣」の形を再定義しました。

私たちは、⾁体を持ってこの世界に⽣きながらにして、いつでも、どのようにも「⽣まれ変わる」ことができる、というのが、この「輪廻転⽣ 再⽣」シリーズの結論でした。

バシャールの「オーバーソウル」理論をベースとして考えれば、私たちは「いまここ」において、どのようにも過去世や未来世を選択できます。

たとえば、あなたがある歴史上の⼈物を尊敬していたとして、その⼈物の思想や⾏動を⾃分なりに学び、解釈し、⼈⽣のロールモデルとして採⽤したとすれば…

その⼈物とあなたは、「⽣まれ変わり」の関係でつながっていると⾔えるんです!

アセンションした「輪廻転⽣」の想像⼒は、「いまここ」の私たちにとっての前向きなエネルギーの源となる、時間・空間を超えた他者とのつながりの感覚をもたらしてくれるものなのだと思います。

そしてこの番外編の趣旨は、このようなアップデートされた「輪廻転⽣」観を、哲学的に考えてみよう!というものです。

スピリチュアルの連載で「哲学」を語る、ということに違和感を感じる⽅もいるかもしれませんね。

しかしそもそも、この連載でも取り上げた通り、⻄洋における「輪廻転⽣」観の基礎を築いた⼈物としてのプラトンは、哲学者でした。

ブッダだってキリストだって、あるいはシュタイナーだって、宗教家・神秘思想であると同時に哲学者でもあったのです。

このように、スピリチュアル(神秘主義)と哲学は、両者ともに精神世界を考察の対象としている点で、切っても切れない関係にあると⾔えるでしょう。

そこでこの番外編では、いわゆる「現代思想」(ポストモダン、ポスト構造主義思想)に分類される著名な哲学者、ジャック・デリダの思想と、アセンションした「輪廻転⽣」の形を、重ね合わせて考えてみようと思います!

スピリチュアルに関⼼があるけれど、哲学書なんて読んだことがない…という⽅でも、きっとその意外な共通点に驚き、楽しんでいただけるのではないかな?と思うので、ぜひご覧ください!

ジャック・デリダとは?

ジャック・デリダ(1930-2004)は、アルジェリア⽣まれのフランスの哲学者です。

彼は、「脱構築」の思想家と⾔われます。

「脱構築」というのは、私たちが陥りがちな⼆項対⽴の思考(相反する⼆つのものを想定し、どちらか⼀⽅は良いもの、どちらか⼀⽅が悪いもの、というように価値判断すること)を疑い、それを解体していくことです。

⼆項対⽴の例は、無数に挙げることができます。たとえば、善/悪、正常/異常、⾃然/⽂化、⾃⼰/他者、男/⼥、健康/不健康…

「この⼈は善い⼈だ!」「あの⼈は悪い⼈だ!」というように、私たちは⾃分でも気づかないうちに、相反する⼆つの概念の対⽴を元にして物事を判断してしまう傾向にあります。

しかしデリダが試みたのは、その⼆項対⽴そのものを疑い、切り崩していくことでした。

実は現在、スピリチュアルの世界で重要視されている、「⽬覚め」や「アセンション」も、私たちが囚われている⼆項対⽴の枠組みを取り払い、より⾃由な意識を獲得すること。

つまり、デリダの思想である「脱構築」は、実は現代スピリチュアルにも通底する考え⽅だと⾔えるんですね!

「脱構築」に関しては、千葉雅也『現代思想⼊⾨』(講談社現代新書、2022年)という⼤変充実した⼊⾨書があるので、ご興味のある⽅はぜひ読んでいただくことをおすすめします。

デリダの⽂章は⾮常に難解なのですが、この⼊⾨書を読むと、分かりやすい⾔葉へと変換されたそのエッセンスを知ることができます。

「散種」というモデル

そして、この「脱構築」の思想家・デリダが提唱した概念のなかに、アセンションした「輪廻転⽣」の形を考える上で重要なものがあるのです。

それが、「散種」。フランス語だと “dissemination”(ディセミナシオン)です。

ざっくり⾔うと、デリダはこの「散種」という概念によって、ある「記号」の意味伝達の形として、「過去にすでにその意味が決定していて、それが現在、未来へとそのまま受け継がれていく」という⼀般的なイメージとは違うモデルを⽰しました。

以下が、「散種」について⾔及している、デリダの実際のテクストです。

ある記号の意味伝達を考える時、「多義性」と「散種」という異なる⼆つの形が想定できるのだと、彼は⾔います。

すんなりと読める⽂章ではないのですが、ぜひその原⽂の雰囲気を味わっていただけたらと思います。

多義性の概念は、したがって、現在における意味の説明や列挙に属している。つまり、⽴ち会いの⾔説に属している。その様式は表象的な⾯のそれである。その地平が枠づけられていることは、そこでは忘れられている。⾔説の多義性とテクストの散種の差異とは、差異そのもの、「容赦ない差異」である。この差異は、なるほど意味の産出に不可⽋ではあるが(それゆえ、多義性と散種のあいだの際はきわめて⼩さい)、しかし、意味が現前し、集合し、告げられ、居座っている限りにおいて、意味はその差異を消去し、追い払ってしまう。意味的なものは構造(微分)を成⽴条件とするが、しかし、それ⾃体が、それ⾃体において構造的であるわけではない。種⼦的なものは反対に、⼀度としてそれ⾃体であったことはなく、⾃⼰に回帰することもないままに、散種される。種⼦的なものは分割に⾝を投じ、消滅と死に⾄るまで⾃ら⾃⼰を多数化させてゆくが、そのことによって、種⼦的なものが、⽣きた増殖として、そのものとして構成される。種⼦的なものは数多く=数において〔en nombre〕存在する。

(ジャック・デリダ『散種』(叢書ウニベルシタス989)、藤本⼀勇、⽴花史、郷原佳以訳、法政⼤学出版局、566-567⾴)

「散種」=「いまここ」における意味の⽣成

いきなりこれを読んでも、⾔い回しも難解だし、⼀体何が⾔いたいのか判然としないですよね。

ここで、デリダの⾔う意味伝達の形としての「多義性」と「散種」を、具体的な「語」を例にとって考えてみると分かりやすいかもしれません。

たとえば、古語で「をかし」という単語がありますね。現代語に訳すなら、「趣がある」「⼼惹かれる」といったニュアンスでしょうか。

『枕草⼦』など、平安時代の有名な⽂学作品にもよく登場する語なので、むかし古⽂の授業で習ったのを覚えている⽅も多いと思います。

現代⽇本に⽣きる私たちは、もう「をかし」という語を使うことはありません。

だから、『枕草⼦』を読解するなかで「をかし」という語に出会った際、作者である清少納⾔が、当時どのような意味合いでこの語を使っていたのかを懸命に推測してみるのが、⼀般的な態度だと思います。

『枕草⼦』において、清少納⾔は、夏の夜の素晴らしさの例として「⾬など降るもをかし」という⼀⽂を記しています。

現代における古典の研究結果を踏まえ、当時「をかし」という記号(語)に与えられていた意味を想定し、この⼀⽂を「⾬が降ったりするのも⾵情がある」とか、「⾬が降るなどする様⼦にも⼼惹かれる」といったように解釈すると、古⽂のテストでは◯をもらえます。

デリダはこのように、過去において、ある記号(語)が持っていたはずの様々な意味内容を掘り起こし、その本当の意味を把握しようとすることを、「多義性」に基づく態度として定義しました。

⼀⽅で、彼が重要視した「散種」は、この「多義性」とは違う性質を持っています。

「散種」とは、現在に⽣きる私たちの解釈次第によって、その記号(語)の意味内容が後付け的に⽣成され、変化していく運動のこと。

つまり、「ある記号はそれ⾃体の本当の意味を持っている」という前提を持たずに、⾃分なりにその記号を受けとめて解釈してみることが、「散種」に基づく態度なのです。

先の例で⾔えば、古⽂に関する何の知識も持たずに、「⾬など降るもをかし」という⼀⽂に触れた時、それを「⾬が降るなんておかしい(不条理だ)」という意味に解釈する⼈もいるかもしれません。

あるいはそれを、「⾬とか降ってて、なんかエモい」といったように、私たちの現代的な感覚に落とし込んで解釈する⼈もいるかもしれません。

このような解釈は、古⽂のテストであれば×をつけられてしまうかもしれませんが…「散種」の概念からすると間違いではないんです。

「散種」的解釈をすると、この『枕草⼦』の⼀⽂から、教科書で習うような固定化されたイメージ(利発な⼥性作家)ではなく、ちょっと尖った性格をしている等⾝⼤の⼥性としての清少納⾔、あるいはまるで現代のギャルのような感性を持った清少納⾔など、様々な清少納⾔像が⽬の前に⽴ち上がってきます。

「過去に正解がある」という前提がなくなれば、その記号を受け取る主体の状況や環境次第によって、たくさんの新たな解釈可能性が⽣まれ出てくる。

このように、「散種」というのは、ある記号が「種」としてばら撒かれ、様々に受け継がれていくなかで、その都度その都度、新たな意味を芽吹かせていく運動そのものなんです!

「散種」としての「輪廻転⽣」

さて、なぜこの「散種」の話をじっくりしてきたかというと…

それ⾃体として確定的な意味をもたない「記号」が、ばらばらに受け継がれ解釈されていくなかで、複数の意味内容が後付け的に⽣成されていくこととしての「散種」は、この連載で考えてきたような、時間・空間を超えた他者に「いまここ」からつながっていく、「⽣まれ変わり」のネットワークの運動性に似た特徴を持っているからなんです。

「散種」は、「記号」の意味伝達というやや抽象的なレベルにとどまらず、他者との関係性やコミュニケーションのあり⽅という、私たちの実存に深く結びついた問題を考える上でも、重要な⼿がかりとなる概念。

そこで次回は、この「散種」を実存的なレベルにまで拡張して解釈することで、アセンションした「輪廻転⽣」の想像⼒の哲学的な分析を進めていこうと思います!

⻑らくお届けしてきたこの「輪廻転⽣ 再⽣」シリーズも、いよいよ次回が最終回!どうぞお楽しみに。

<スピリチュアル&カウンセリング YOKU STUDIO 東京 高円寺店>
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SRP目次(毎週金曜20:00更新)

翔哉
執筆者

スピリチュアルカウンセラー。YOKU STUDIO 代表、ナチュラルプラネット(下北沢のカウンセリングサロン)オーナー。豊富なカウンセリング・指導経験を生かして、スピリチュアルを理論的・実践的に捉え直し、日常生活に根ざしたものにしていくために活動しています。

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