YOKU STUDIO による連載企画、SPIRITUAL REBIRTH PROJECT。
今回は、「輪廻転⽣ 再⽣」シリーズの第6弾です!
前回は、古代ギリシャの哲学者・プラトンがその著作に記した「⽣まれ変わり」観を取り上げました。
そのベースになっていたのは、魂 vs ⾁体という、はっきりとした⼆元論。
不滅の魂を閉じ込めるための牢獄として、有限の⾁体があるのだ、という考え⽅でした。
古代インドの「ウパニシャッド」の「輪廻」観は、「梵我⼀如」、つまり【「ブラフマン」(宇宙原理)=「アートマン」(⼈間⼀⼈ひとりの本来的な⾃⼰)】という⼀元論をベースとしており、プラトンが説いたような、【魂(イデア、唯⼀の実体)vs ⾁体(イデアの影)】という⼆元論とは異なります。
ただし、両者には共通点があります。
私たちはそれぞれ本来的な⾃⼰を持っているのだが、⾁体的欲望によって、それが不純になっている。だからそれを純化させないと、何度でもこの世に⽣まれ変わってしまうのだ、というロジックです。
理想状態としての本来的な⾃⼰へ辿り着くことで「輪廻」から逃れられるという、⾁体的欲望をある種の敵と⾒なす考え⽅が、洋の東⻄を越えて共通していたことが⾯⽩いですね。
(そう考えると、際⽴ってくるのは、私たち⼈間にそのような本来的な⾃⼰=「我」が存在するということ⾃体を否定し、「我」への執着こそが輪廻を⽣むのだと主張した、ブッダの思想の特殊性です…!)
またプラトンの思想において特に重要なのは、⾁体に紐づいた様々な欲望を斥け、魂を純粋な状態に保つためには、「正しく哲学する」、すなわち学術的な探究に励むことが⼤切だと述べていた点です。
キリスト教が勢⼒を拡⼤するなかでも、このプラトン的思想を受け継いで「輪廻転⽣」の教義を唱える潮流は存在し続け、その後の⻄洋における神秘思想のベースとなりました。
このような「知」を重視する「輪廻転⽣」思想は、中世を経て近代へと⾄り、当時の時代状況とも密接に結びつきながら、新たな展開を⾒せ始めることになります。
今回は、キリスト教が覇権を握った、紀元後のヨーロッパ世界で脈々と受け継がれ、「輪廻転⽣」思想について考えます!
「輪廻転⽣」を認めないキリスト教
イエス・キリストの死後、彼の教えをベースとしたキリスト教は、その勢⼒をどんどん拡⼤していき、ローマ帝国の国教にもなります。
現在でも、⻄洋諸国において広く信じられている宗教であることは、皆さんご存知の通りです。
ここで指摘しておかなくてはならないのは、そもそも、キリスト教は「輪廻転⽣」を認めない宗教だということ。
キリスト教の教えでは、基本的に、⾁体が死を迎えると、その魂は天国あるいは地獄へ赴くとされす。
そして、いつかイエス・キリストが再臨し、「最後の審判」が⾏われる時には、全ての魂が裁かれることとなり、永遠の⽣命を得る者と地獄に落ちる者とに分けられる、と信じられているのです。
つまり、死者の魂が再びこの世に再⽣するのは、「最後の審判」を経て、永遠の⽣命を得た後のことなんですね。
このような観点に⽴てば、同じ魂が何度も「⽣まれ変わり」を繰り返す、というようなことはありえないわけです。
前回、古代ギリシャにおいても「輪廻転⽣」はマイナー思想であった、というお話をしましたが、その後のヨーロッパ社会においても、「⽣まれ変わり」の想像⼒は、メジャー化することはなかったと⾔えます。
しかし、キリスト教が公的に覇権を握るなかでも、プラトン的な思想を受け継ぐ流れは、たしかに地下⽔脈のように存在していました。
その代表は、紀元後3世紀、古代ローマ⽀配下のエジプトに⽣まれた哲学者、プロティノスが開祖となって成⽴したとされる、「新プラトン主義」です。
「⼀者」との合⼀を⽬指す新プラトン主義
新プラトン主義は、キリスト教徒からすると異端の流派ですが、実はキリスト教の「三位⼀体」の思想にも影響を与えたと考えられています。
異端思想とされながらも⽣き延びたこの新プラトン主義は、中世ルネサンスの 15 世紀にいたると、特にイタリアにおいて再評価されました。
そしてその後、近代スピリチュアリズムにおいても、思想的な拠り所として⼤きな役割を果たすことになります。
⻄洋の神秘主義の歴史において、かなり重要な流派なのです。
プロティノスは、万物の始原としての「⼀者(ト・ヘン)」を想定し、そこからの「流出」によって全ての存在が成り⽴っていると考えました。
「⼀者」→「知性」→「霊魂」→「⾁体」(物質)といったような階層性で、⾼い次元から低い次元への「流出」が起こり、この世界が成⽴していると説いたのです。
つまり、プラトンにとっての⾁体=「イデア」の影(⾮実在)、であるのに対し、プロティノスにとっての⾁体=「⼀者」の⼀部、ということになります。
ただし、⾁体を有する⼈間存在は、たしかに全ての⼤元としての「⼀者」の⼀部であるとはいえ、その原初の理想状態からは、かなり隔たりがある。
この世の快楽におぼれ、その理想状態を忘却してしまっているわけです。
だからこそ、(⾁体に近い)感覚的なレベルを脱し、「知性」の働きによって本来的な⾃⼰を⾒つめることで、「⼀者」との合⼀を⽬指すことが重要だとされたのです。
このような「知性」の働きを、プロティノスは「観照」と呼びました。
かくて、もし⾃分がこのようなものになるのを視るにいたるならば、そこにひとは⾃⼰をかのものの似すがたとしてもつことになるわけである。そしてまたこのような⾃⼰をぬけ出していわば模型に対する原型のごときものへと歩を移して⾏くとき、ひとは⾏程の⽬的をそこに完了したことになるであろう。そしてそのような観照から外れて下へ落ちて来るにしても、またふたたび⾃⼰のうちの徳を呼び起こして、⾃分がすっかり秩序を回復してしまっているのをしかと認めるにいたるならば、またふたたびわが⾝は徳の⼒によって軽くなり、知性にいたって、知恵を通して直接かのものに到達することになるのであろう。そしてかくのごときが神々の⽣活であり、⼈間のうちでも神々のごとき、幸福なる⼈々の⽣活なのである。それはすなわちこの世の他のいっさいからの解脱であって、この世の快楽をかえりみぬ⽣活なのである。⾃分ひとりだけになって、かのものひとりだけを⽬ざしてのがれ⾏くことなのである。
(プロティノス『エネアデス(抄)Ⅰ』、⽥中美知太郎、⽔地宗明、⽥之頭安彦訳、中公クラシックス、2007年、118 ⾴)
※筆者による註
・下線部「このようなもの」…⾃分ひとりの内⾯に⽴ち返り、「⼀者」との合⼀を果たした状態
・下線部「かのもの」…「⼀者」
プロティノスによれば、この世の快楽に惑わされることなく、「知性」によって⾃分ひとりの内⾯を⾒つめ、「⼀者」と⼀体化することが、⼈間が⽬指すべきゴール。
「輪廻転⽣」に引きつけて考えれば、現世における感覚的なものから離れて本来的な⾃⼰を⾒つめることで、⾁体を持たない「⼀者」に近づく、つまり「⽣まれ変わり」の連鎖から逃れることができるのだ、と⾔えるでしょう。
(「ウパニシャッド」に⽰された、「梵我⼀如」をベースとする「輪廻」観に、かなりよく似ていますね!)
また上の引⽤からは、プロティノスが、欲望に振り回される状態から脱するために、やはり「知性」を⾮常に重視していたことが分かります。
⼤切なのは、新プラトン主義における「知性」の重視は、たくさん本を読んで知識を増やす、といったことを推奨しているわけではない、ということです。
ここで⾔われる「知性」は、純粋な直観に近いもの。周囲に惑わされず、あるがままに本来の⾃分⾃⾝を⾒つめる働きのことだと考えられます。
プロティノスは、「⼀者」との合⼀の経験を、「没我(エクスタシス)」とも呼んでおり(同上116 ⾴)、まるで神秘経験に近いもののように描いています。
だからこそ新プラトン主義は、中世以降の⻄洋神秘主義のベースとなったのではないでしょうか。
現代スピリチュアリズムの世界においても、スピリチュアル的な成⻑によって、万物の始原としての「ワンネス」へと回帰することを重視する考え⽅は広く存在しますが、それをまさに新プラトン主義の残滓として⾒ることもできるように思います。
異端思想から近代スピリチュアリズムへ
新プラトン主義と並ぶ、もう⼀つの重要な潮流としては、「グノーシス主義」があります。
「グノーシス」とは、古代ギリシャ語で「認識、知識」のこと。
グノーシス主義は、紀元後1世紀頃から地中海世界を中⼼に起こったとされる思想運動で、やはりキリスト教の正統からは異端と⾒なされていました。
ゾロアスター教など、オリエントの宗教の影響も強いとされるその世界観は、「反宇宙的⼆元論」と呼ばれます。
グノーシス主義者たちは、⼈間の⾁体を含む物質世界としての宇宙を作り出したのは悪神であり、私たちの魂が由来する本来の⾄⾼神は別にいる、と考えるのです。
(宇宙の創造神を崇めるキリスト教から⾒ると、これはかなり危険な考え⽅であることは明⽩ですよね。)
彼らは、悪としての物質世界に閉じ込められた状態から、「グノーシス」=「知」を通して、魂が解放されることを⽬指しました。
プロティノスが、プラトン的な魂 vs ⾁体の⼆元論を⼀元論に回収しようとしたとすれば、グノーシス主義は、その⼆元論をより過激に押し進めた思想だと⾔えるでしょう。
新プラトン主義とはその世界認識を異にしながらも、「知」の働きによって⾁体的な要素を離れ、⾄⾼の理想状態にいたることで「⽣まれ変わり」の苦しみから逃れられるという同様の考え⽅を提⽰したグノーシス主義は、やはりその後の⻄洋神秘主義において、⼤きな役割を果たしました。
総括すると、新プラトン主義にしろ、グノーシス主義にしろ、それは当時のヨーロッパ社会におけるスタンダードとしてのキリスト教の正統な教義に対するカウンターであり、異端思想とされるものだったわけです。
しかし、そのような異端思想はヨーロッパ世界において脈々と⽣き延び、彼らが有した「輪廻転⽣」の想像⼒、そして理想状態にいたるための「知」を重んじる態度も、共に受け継がれていきました。
そして近代に⾄り、科学・産業が発達すると共に、合理主義・啓蒙思想が興隆し、それまでの社会秩序を形成していたキリスト教の権威がガラガラと崩れていくなかで。
地下⽔脈として存在していたその「輪廻転⽣」の想像⼒が、近代スピリチュアリズムの思想と結びついて噴出することになります!
次回からは、近代スピリチュアリズムにおける、「霊的進化」としての「輪廻転⽣」観にせまります!
そこには、あの有名なチャールズ・ダーウィンの「進化論」も関係していた?どうぞお楽しみに
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