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SPIRITUAL REBIRTH PROJECT 連載企画 第31回 輪廻転⽣ 再⽣ ④

SPIRITUAL REBIRTH PROJECT 連載企画 第31回 輪廻転⽣ 再⽣ ④

YOKU STUDIOによる連載企画、SPIRITUAL REBIRTH PROJECT。
今回は、「輪廻転⽣ 再⽣」シリーズの第4弾です!

前回は、古代インドの聖典・哲学書である「ウパニシャッド」に⽰された「輪廻」を深掘り、そこにあった問題点も指摘しました。

⼈⾥離れて厳しい修⾏を積み、様々な欲望から逃れられれば、もはや地上に⽣まれ変わることはない、つまり「輪廻」から解脱できるのだという、「ウパニシャッド」における「輪廻」の定義は、当時のインド社会を⽀えていた、「ヴァルナ」という伝統的⾝分制を強化するものでもありました。

つまり、最も⾼い⾝分としての「バラモン」(聖職者)を特権化すると共に、それより下層の⾝分の⼈々、特にヴァルナを持つこともできない最下層⺠への差別意識を、正統化するロジックとしても、機能してしまっていたのです。

しかし、紀元前6〜前5世紀くらいになると、このようなバラモン教の伝統は徐々に衰退していきます。

ガンジス川流域の開発が進み、経済活動が活発化し、「⼗六⼤国」と呼ばれる⼩国家がお互いに覇権を争うようになると、ヴァルナにおいては聖職者の下の⾝分とされていた王族の権威が増⼤すると共に、庶⺠のなかにも富裕層が出現してきたのです。

伝統的なバラモン教の権威が揺らぎつつあったこの時期に、「ウパニシャッド」のようなバラモン教の教えを否定し、新しい思想を打ち出す⼈々が現れました。

彼らは「沙⾨しゃもん」と呼ばれ、その中の⼀⼈が、仏教の開祖であるブッダ(釈迦、ゴータマ・シッダールタ)だったんです。

ブッダは、「ウパニシャッド」における「輪廻」の定義が抱えていた問題に挑み、新たにそれを捉え直そうとしました。

「輪廻といえば仏教の教え!」というイメージを持っている⽅も多いかもしれませんが、仏教における「輪廻」は、バラモン教の伝統的「輪廻」観の影響を受けつつ、それをオリジナルに再解釈したものだったんですね。

今回はこの、ブッダが説いた「輪廻」の考え⽅を、詳しく解説します!

バラモン教と仏教の違い

まずは前提として、それまでの伝統的なバラモン教と、ブッダが開いた仏教との違いについて、考えてみようと思います。

そもそもブッダは、釈迦族の⼩国の王⼦として⽣まれました。

つまり、彼はヴァルナ制で⾔えば「バラモン」の⼀つ下、「クシャトリヤ」(王族)の⾝分だったのです。

彼は王宮で何不⾃由ない⽣活を送っていたが、そこに安住することなく29歳の時に出家し、苦⾏の後に菩提樹の下で悟りを開いた、というのは有名な話ですよね。

ブッダは、聖職者としての「バラモン」に⽣まれたわけではないけれど、⾃らの意志で、宗教的思想を追究することを選んだ。

そもそもこの時点で、ブッダは、バラモン教の⾝分制度からは外れた⼈⽣の選択をしていたというわけです。

しかも、彼が作り出した新たな宗教としての仏教も、それまでのバラモン教のあり⽅とは、⼤きく異なる性格を持っていました。

仏教学者の⾺場紀寿⽒は、『初期仏教 ブッダの思想をたどる』という書籍のなかで、このように解説しています。

初期のバラモン教と仏教との決定的相違のひとつは、選択可能な宗教だったか否かという点である。バラモン教は、元来、アーリヤ⼈社会の祭式を中⼼とした⽣活や⽂化や知の総体であって、現代社会における「宗教」のように特定領域に限られた存在ではなかった。
それに対して、先にも述べたように⼗六⼤国の時代は、諸思想が乱⽴している百家争鳴の状況にあった。この時代のガンジス川流域では、バラモン祭官さえも批判にさらされ、相対化されている。仏教は、バラモン教や新思想の担い⼿たちと競合して、⼈々の⽀持を勝ち取らなければならない状況の中で始まったのである。

(⾺場紀寿『初期仏教 ブッダの思想をたどる』、岩波新書、2018年、25-26⾴)

それまで社会全体の⽀配原理として機能していたバラモン教とは異なり、全ての⼈々が⾃由に選択できる宗教の⼀つとして成⽴したことが、仏教の⼤きな意義だと考えられるのです。

⾺場⽒は他にも、仏教が「サンガ」と呼ばれる教団を持っていたこと、その教団には出家者だけではなく在家信者もいたこと、さらには男性信者も⼥性信者も認められていたことなどを挙げ、「ブッダの教えは、特定の階級、特定の⼈種、特定の⼈物に限定されたものではなく、あらゆる⼈々に開かれたものだったのである」と論じています。(同上32⾴)

「我」を想定しない「輪廻」観

ここまでのお話だけでも、当時のブッダの思想が、かなり先鋭的なものであったことがわかると思います。

ではブッダは、伝統的⾝分制との関係が深かった「ウパニシャッド」における「輪廻」を、どのように再解釈したのでしょうか?

「輪廻」から解脱し、地上の苦しみから逃れることを⼈⽣の⽬標とする考え⽅⾃体は、「ウパニシャッド」にも、ブッダの教えにも共通するものです。

けれど⾯⽩いのは、ブッダは、⽣まれ変わりの主体としての「我」は存在しないという⽴場をとったこと。

前回お話しした通り、「ウパニシャッド」においては、私たちは⼀⼈⼀⼈、本来的⾃⼰としての「アートマン」を有しているとされていました。

ブッダは、⼈間存在を成⽴させている要素として、⾊・受・想・⾏・識という「五蘊ごうん」を挙げました。

・⾊…物質としての⾝体。⼈間の姿を指します。
・受…感受作⽤。知覚や感覚という機能を指します。
・想…表象作⽤。⼼のなかで、あるイメージを思い描くことを指します。(得た知覚を、「こ
れは〇〇だ」というように、特定のイメージに同定すること)
・⾏…意志作⽤。⼼のなかに、⾏動につながるような何らかの動きが⽣まれることを指しま
す。
・識…認識作⽤。ある対象を、諸要素に分析して考えることを指します。

この5つの要素が織り合わさって、私たち⼀⼈⼀⼈は成⽴しているのであり、個の本質としての「我」のようなものは、本当は存在しない。

それなのに、いつまでもその「我」という幻想に執着しまうからこそ、何度も「輪廻」を繰り返してしまうと説いたのです。

・「我」への執着が「輪廻」を⽣む

初期仏教において「輪廻」の主体とされているのは、個の本質としての「我」ではなくて、むしろそのような「我」への執着の⽅。

ある⼈が、その「我」という幻想にこだわり、⾃分という個の存在を成⽴させるための欲望にとらわれていると、その欲望が死後も残り続け、再び「五蘊」を織り合わせて、「我」のようなものを形成してしまう。

だから、「我」への執着を取り払い、「無我」の境地にいたることが、「輪廻」からの解放につながるのだと、ブッダは考えました。

⾺場⽒の⾔葉を借りるならば、仏教が⽬指したのは、「輪廻という『⾃⼰の再⽣産』からの解放」だったのです。(同上192⾴)

原始仏教教典である『スッタニパータ』には、「輪廻」に関するブッダの⾔葉が収録されています。

七四〇「渇望を愛妻のように常に抱いている⼈は、永劫の間、流転し、この世からあの世へと⽣まれ変わり死に変わりして⾏く輪廻の流れを越えることができない。
七四⼀ 渇望から苦しみが⽣じるというこのことを患いだと知り、渇望を離れ、何ものも取
り込まず、⽐丘は⼼して⾏脚するがよい。」

(『スッタニパータ [釈尊のことば]全現代語訳』、荒牧典俊・本庄良⽂・榎本⽂雄訳、講談社学術⽂庫、2015年、191⾴)
※「⽐丘」…出家した男性修⾏者のこと

ここで⾔われている、「輪廻」の原因となる「渇望」というものは、単に⾷欲や性欲・財欲といったものにとどまらず、「我」という存在への欲望や執着をも指すと⾔えるでしょう。

ブッダはまた、このようにも語っています。

⼀〇五九 〔世尊が説かれる。〕「もしもきみが、ここなるバラモンは、真理を体得して、いかなる所有もまったくなくなり、さまざまな欲望の対象にも、くり返し再⽣してこのまま⽣きていく存在にも愛着することがないと知るならば、まことに疑いなく、そのようなひとこそ、ここなる輪廻の洪⽔を渡っている。彼岸に渡りついて、不⽑なるところもなく、もはや欲望することもない。
⼀〇六〇 かくしてそのような真理を体得したひとは、ここなる世間にありながら真理を知っていることによって、くり返し再⽣してこのまま⽣きていく存在に愛着することから離脱して⾃由になり、いつまでも世間的存在でありつづけようとする深層の欲望が解消し、〔厳格な修⾏⽣活を〕厭悪することもなければ、〔世間的存在を〕願望することもない。そのようなひとであれば、⽣まれては⽼いぼれゆく存在〔の洪⽔〕を渡っているとわたくしは説く」

(同上281⾴)

「くり返し再⽣してこのまま⽣きていく存在にも愛着することがない」状態へいたり、「世間的存在でありつづけようとする深層の欲望が解消」すること。

それは、この世における「我」という存在と、それを成り⽴たせるための様々な欲望の対象から⾃由になることに他なりません。

これこそが、ブッダが⽬指した「輪廻」からの解脱だったのです。

ブッダが説いた「輪廻」は、「ウパニシャッド」に⾊濃く影響を与えていたバラモン教の伝統を乗り越え、「我」という存在時代を否定する、かなりラディカルなものだったことがお分かりいただけたと思います。

またブッダが、このような彼の思想に基づいた「輪廻」からの解脱の道を、(ある程度のヒエラルキーは存在したとはいえ)、出家・在家の別、あるいは性別や⾝分に関係なく、多くの⼈々に伝道した、という事実も重要です。

具体的には、信者の境遇に合わせて守るべき戒律を定め、それを実践させました。(その戒律は、かなり素朴に禁欲的なものではあるのですが…)

少なくとも、それまで⾝分制を強化するロジックとして働いていた「輪廻」という思想を無批判に受け⼊れるのではなく、それをあらゆる⼈に開かれた精神的成⻑の可能性に結びつけて解釈したことは、ブッダという宗教思想家の⼤きな功績であった、と⾔えるのではないでしょうか?

さて、ここまで古代インドにおける「輪廻」思想を⾒てきましたが、次回からは視点を⻄洋に移します。

⻄洋において「⽣まれ変わり」が信じられている、という印象はあまりないかもしれませんが、実はそのルーツを、古代ギリシャ思想にすでに⾒出すことができるのです。

その後、中世〜近代にいたるまで、「⽣まれ変わり」の思想はどのように変化し、受け継がれてきたのか?

哲学・宗教・スピリチュアリズムを横断しながら考えていきます!お楽しみに。

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SRP目次(毎週金曜20:00更新)

翔哉
執筆者

スピリチュアルカウンセラー。YOKU STUDIO 代表、ナチュラルプラネット(下北沢のカウンセリングサロン)オーナー。豊富なカウンセリング・指導経験を生かして、スピリチュアルを理論的・実践的に捉え直し、日常生活に根ざしたものにしていくために活動しています。

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