YOKU STUDIOによる連載企画、SPIRITUAL REBIRTH PROJECT。
今回は、「輪廻転⽣ 再⽣」シリーズの第10 弾です!
前回は、現代⽇本のスピリチュアルの世界でよく語られる、「輪廻」と「転⽣」を区別する考え⽅についてお話ししました。
⼈類規模、そして宇宙規模の「進化」のプロセスとして「⽣まれ変わり」を捉える、近代スピリチュアリズム的スケール感を引き継ぎながらも、宇宙的なヒエラルキー(つまり、他の星に⽐べて地球は遅れており、現在はそれに追いつくような進歩の過程にある、という観点)が強調されているのが、その特徴。
「輪廻」を地球特有の不完全な魂のサイクルとし、「転⽣」をより進歩的で望ましい魂のサイクルとする定義は、地球の次元上昇に伴う形で⼈間の意識領域の⾼次元化を⽬指す「アセンション」⾔説に、⼀⾒うまくフィットしますし、だからこそそれが、⽇本のスピリチュアリズム界隈でポピュラーな考え⽅になっているのでしょう。
しかしそこには、魂レベルの優劣によって死後の運命が決まる、という、ある種の優⽣思想に陥ってしまう危険性も…!
この連載では、古今東⻄の「輪廻転⽣」思想を考察してきましたが、そこには常に、こうした優⽣思想へと繋がる萌芽が⾒られました。
けれど、本来「アセンション」というのは、あらゆる個⼈が、⾃分⾃⾝の⼒を最⼤限⾃由に発揮しながら、この世界を⽣きることができるようになること。
「良い」vs「悪い」、「優れている」vs「劣っている」という⼆項対⽴を乗り越え、⾃らの可能性を広げていくことが、その重要なテーマなのであって、「アセンション」と優⽣思想は、ほんとうは全く相容れないものなんです。
だからこそYOKU STUDIOは、このような優⽣思想に陥ることのない、アセンション期にふさわしい「輪廻転⽣」の形を定義していくことを⽬指します!
今回はその準備段階。
「輪廻転⽣」という想像⼒が常に抱えてきた問題点を、その根底にある、「死」という運命をめぐる⼈間⼼理の分析を通して、整理していきます!
・「死」への恐怖は根源的なもの?
そもそもなぜ⼈は、死後の運命を信じ、そこに期待をかけるのでしょう?
そこには、「死」というものへの恐怖が、深く関わっていると思うのです。
私たちは、毎⽇起床し、活動し、就寝するという1⽇のサイクルを、当たり前のように繰り返しています。
しかしそのサイクルは、いつか⾃らの死という形で終わりを迎えることになる。
これが、年⽉を重ねるごとに⽼いていく⾁体を有する、私たち⼈間の定めであるわけです。
(科学技術が発達すれば、いつの⽇か⼈間は、永遠の若さを⼿に⼊れ、死を乗り越えることができるのかもしれません。
でも、少なくとも現時点においては、そのような未来はまだまだ遠いものでしょう。)
死を運命づけられた⼈間は、古来、死に対して様々な思いをめぐらしてきました。
たとえばドイツの哲学者であるマルティン・ハイデガー(1889-1976)は、死という定めを背負った有限の存在として⾃らを認識し⾏動することが、⼈間の実存において重要だと説きました。
しかし、⾃⾝の有限性をまっすぐに⾒つめ、それを受容するというのは、全ての⼈々が容易にできることではないように思います。
「もし死んだら、私という存在は無くなってしまうのかもしれない…」
「私がこれまで積んできた様々な経験や、⼤切な⼈たちとの思い出も、⾁体が死を迎えたとき、⼀緒に全部消えてしまうのかな…」
いつか訪れる死によって、⾃⼰の存在が無に帰してしまう可能性に対する恐れを、感じた経験がある⽅は多いでしょう。
そのような恐れというのは、⼈間にとって根源的なものなのかもしれません。
だからこそ、「⼈間の魂は⾁体の死後も消えることはなく、永続的に存在し続ける!」という想像⼒は、多くの⼈に求められたのではないでしょうか。
「死んだらまた別の誰かに⽣まれ変わる」という素朴な再⽣観にしろ、「死んだら天国において幸せな⽣活が待っている」「原初の理想状態に回帰できる」という思想にしろ、死後の世界を想定することによって、⾁体の死を超えて⾃らの魂が存続し続けることを保証してくれるものだからです。
(その点、「我」の永続性に執着することを戒め、「無我」の境地にいたることの重要性を説いたブッダの死⽣観というのは、やはりなかなかラディカルだったんですね…!)
・死後の「より良い」未来を望む⼼理
そしてもう⼀つ重要なのは、⼈は、死後の⾃らの魂が、現世よりも「より良い」運命を辿ることを望む傾向にあるということ。
「苦労の多い⼈⽣を歩んできたから、⽣まれ変わったらもっと幸福な⼈⽣を送りたい」
「俗っぽい欲望に苦しめられてきたから、死んだ後は⼈間世界よりももっと⾼潔で素晴らしい世界で、魂の安らぎを獲得したい」
このような、死後の「より良い」未来を望む⼼理こそ、古今東⻄の「輪廻転⽣」をめぐる想像⼒の根底にあるものだと思うのです。
古代インドの「ウパニシャッド」や、プラトン以後のヨーロッパにおける神秘思想においては、⾁体と紐づいた低次元の欲望から⾝を離すことで、「⽣まれ変わり」の苦しみから逃れ、現世に⽐べて「より良い」世界としての神的な世界、あるいは原初の理想状態(「イデア」、「⼀者」)へと回帰することが⽬指されました。
近代スピリチュアリズム、とくに神智学や⼈智学においては、⼈間の魂は「輪廻転⽣」を繰り返すことで「より良い」状態へと近づいていくのであり、それに伴って⼈類の未来も「より良い」ものとなっていく、という思想が説かれました。
現代⽇本のスピリチュアル⾔説における、「輪廻」と「転⽣」を区別する考え⽅は、「望ましくない」魂のサイクルとしての「輪廻」を捨て去り、「より良い」魂のサイクルとしての「転⽣」を選択することが、地球⼈類にとって必要だとするものでした。
そのどれもが、私たちがこの現世において、⾁体を有した状態で歩んでいる⼈⽣よりも、死後の運命が「より良い」ものとなることを望む思想に他なりません。
(「無我」の境地を説いたブッダでさえ、現世における様々な苦しみからの解放として「輪廻」からの解脱を説いた点においては、「より良い」死後の未来を志向していたと⾔えるでしょう。)
しかし、死後の「より良い」未来を期待することは、現世の⽣に対する、ある種の諦めと表裏⼀体です。
現世の苦しみは、この⾁体を背負っている限りどうにもならないという思いがあるからこそ、死後に「より良い」運命を獲得することが、⼈⽣のゴールのように機能してしまう。
それゆえに、死後の幸せを⼿にするためのメソッド(修⾏、信仰、学び…)が重視されるようになり、それを実践できる/できないといった違いによって死後の運命に差が出るという考え⽅、つまり魂レベルの優⽣思想が出てきてしまうんですね。
・「いまここ」を肯定するために「輪廻転⽣」の想像⼒を
「輪廻転⽣」は、⼈間の魂が⾁体の有限性を超えた連続性を持つことを保証することで、⼈間が根源的に持っている死への恐怖を和らげると共に、現世という限られた時間を超えた、魂のつながりの感覚をもたらしてくれる概念です。
だからこそ、科学技術がこれだけ発達した現代でさえ、「輪廻転⽣」の想像⼒は、多くの⼈々を⼒づけるものとして機能しているのだと思います。
しかしその想像⼒が、現世における⽣を諦め、死後の「より良い」未来を期待するという⽅向に、安易に進んでしまうのは考えもの。
そこでYOKU STUDIOが⽰したいのは、私たち⼀⼈ひとりが⽣きる現世の⽣、つまり「いまここ」を重視し、そこを基点に展開されるものとしての、アセンション期にふさわしい「輪廻転⽣」観です!
「カルマ 再⽣」の時にもお話しましたが、「アセンション」した意識というのは、過去-現在-未来というまっすぐにつながる直線的な時間軸に縛られた形で物事を捉えるのではなく、「いまここ」という起点から広がる時間性のネットワークのなかで、物事を⾼い⾃由度で捉えることができる意識です。
つまり、「アセンション」した意識を持てれば、私たちは常に「いまここ」において、現世に限定されない、様々な時間性・空間性(過去世や未来世)とのつながりを感じることができる。
そして、「いまここ」の意識を拡張し、⾃分⾃⾝の可能性を最⼤限に充実させることができれば、⾁体の死後に訪れる「より良い」未来に期待をかける必要はなくなる。
このように考えられるわけです。
アセンション期においては、「いまここ」を肯定し、めいっぱい楽しむためのツールとして、「輪廻転⽣」の想像⼒を活⽤することができるはずなんです!
さて、ここまでの考察を踏まえた上で、次回からはいよいよ「輪廻転⽣」の再定義に⼊っていきます。
いくつかの理論をヒントにしながら、アセンション期における「輪廻転⽣」の定義を具体的に⽰していこうと思うのですが、最初に参照したいのは、近代スピリチュアリズムの勃興期に、「グループソウル(類魂)」という概念によって「輪廻転⽣」を説明することを試みた、フレデリック・マイヤース+ジェラルディン・カミンズの理論。
この「グループソウル」という概念が、アセンション期における新たな「輪廻転⽣」の形を考える上で、重要なバックボーンになります!
お楽しみに!
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