YOKU STUDIO による連載企画、SPIRITUAL REBIRTH PROJECT。
今回は、「輪廻転生 再生」シリーズの第5弾です!
前回は、仏教の開祖・ブッダが説いた「輪廻」思想を考察しました。
バラモン教の伝統と深く結びついた、「ウパニシャッド」の「輪廻」の定義は、エリート主義、差別意識につながってしまう問題点がありました。
ブッダはそれを乗り越える形で、自己への執着から逃れさえすれば、あらゆる人が平等に「輪廻」から解脱できるのだと考えたのです。
一口に古代インド思想と言っても、バラモン教と仏教では、「輪廻」をめぐる考え方には大きな差があったんですね。
ここからは、そのような東洋の流れを踏まえつつ、視線を⻄洋に移していきます。
「輪廻転生」と聞くと、東洋思想のイメージが強いかもしれませんが、実はその想像力は、⻄洋にも古くから存在したものなのです。
その筆頭が、古代ギリシャの有名な哲学者・プラトン(紀元前 427-前 347 頃)。
彼が著作のなかに記した「生まれ変わり」の考え方は、様々に変容を遂げながらも後世に受け継がれ、その後の神秘思想にも大きな影響を与えました。
今回は、プラトンの「輪廻転生」思想と、その背景を、じっくり読み解いていきます!
古代ギリシャにおける「生まれ変わり」=マイナー思想?
まず前提として、古代ギリシャは多神教の世界。人々は、数多くの神々を信仰し、様々な祭祀を執り行っていました。
しかし、そもそも古代ギリシャの人々は、「生まれ変わり」を信じていない人が大半だったようです。
美術史学者の芳賀京子氏は、以下のように述べています。
キリスト教に先立つ古代ギリシア・ローマ世界では、密儀や一部の思想を除けば、基本的に復活や輪廻の考えはなかった。人々は死者を愛しい者として記憶し、彼らが安らかであることを願ったが、おそらくそれ以上に、死者が生者に害をなすことを恐れてもいた。天国や極楽のような、死後の楽園は存在しない。もちろん死者の魂は存在し、亡霊も出現するが、それ相応の埋葬の儀式によって宥められた死者の魂には生前の「自己」は残ってはいない。人々は自己を保ったまま天国に至ることではなく、自己の意識が残らないということに「安らかな死」を見出していたように思える。
(芳賀京子「⻄洋古代における死とその表象」(『東北文化研究室紀要』第 54 巻所収、東北大学大学院文学研究科東北文化研究室、2013 年、96-98 頁)、96-97 頁)
(中略)
死者の魂は死後、魂の導き手であるヘルメス神に連れられ、はるか彼方、地下深くにある冥界(ハデス)へと向かう。そしてカロンの渡し船で三途の川(ステュクス)を渡るのだが、葬儀が執りおこなわれなかった魂は「ハデスの館」に入ることができず、亡霊としてさまようこととなる。
死者の幽霊や、冥界の存在は信じていたけれども、死後の魂に「自己」の意識が残存するという想像力は、あまり共有されていなかったと考えられるのです。
しかし引用にあるように、「密儀や一部の思想」では、肉体の死後も「自己」が永続することを前提とした「生まれ変わり」の考え方が説かれていました。
「密儀」というのは、その宗教の信者にのみ開かれている、秘密の祭祀儀礼のこと。
つまり、古代ギリシャにおいて「生まれ変わり」というのは、実はなかなかのマイナー思想だったんですね…!
注目したいのは、「生まれ変わり」を信じる密儀宗教の一つであり、紀元前6〜5世紀ごろに発生したとされる「オルペウス教」です。
オルペウス教と哲学者たち
オルペウス教は、ギリシャ神話に登場する吟遊詩人・オルペウス(オルフェウス)を、伝説上の開祖と見なす密儀宗教でした。
オルペウスには、亡くなった妻を取り戻すために冥府に下ったという伝説があります(日本の創生神話におけるイザナギ・イザナミの物語にもよく似ていますね!)。
また、同じくギリシャ神話に登場する酒神であり、やはり冥府下りの伝説を持つディオニュソス崇拝とも、深く関係しています。
オルペウス教が、肉体の死後も魂=「自己」が永続し、再び生まれ変わるという教義を持つにいたった背景には、このような伝説の影響があるのかもしれませんね。
さて、私たち人間という存在は、永久に不滅の本質としての魂と、有限の物質である肉体から成っているという、二元論が特徴であった、このオルペウス教。
古代ギリシャ世界においては、決して大きな勢力であったわけではないようですが、後世に名を残す偉大な思想家たちに影響を与えていたんです!
まずは、「ピタゴラスの定理」で有名な数学者・哲学者のピタゴラス(紀元前 582〜前 496頃)。
神秘家としての顔も持っていた彼は、哲学・数学・天文学・音楽の研究に勤しむ、秘教的な宗教結社としての、「ピタゴラス教団」を組織しました。
ピタゴラス教団では、オルペウス教の影響のもとに「生まれ変わり」が信じられ、戒律に基づいた禁欲生活が営まれたといいます。
ピタゴラスが自らの前世の記憶を全て保持していた、という逸話からも、彼と「生まれ変わり」の密接な結びつきが分かりますね。
そして、そのピタゴラスが没した後。
やはり少なからずオルペウス教の影響を受けつつ、魂について、そして「生まれ変わり」について詳細に論じた哲学者こそ、プラトンなのです。
肉体という牢獄から逃れるために
プラトンは、あらゆる事物には、その本質としての「イデア」、つまり唯一の究極的・理想的な実体が存在する、と考えた哲学者です。
現実の物質世界において私たちの目に見えるものは、「イデア」の影にすぎないのだと論じました。
実は、この「イデア」と「物質世界」の二元論が、彼の「生まれ変わり」思想のベースにもなっています。
その思想が端的に表れているのが、『パイドン』という著作。
哲学者・ソクラテスとその友人・ハデスの対話の形で、魂についての考察が進められていくのですが、ここで強調されているのは、不滅の実体としての魂と、有限の物質としての肉体の違いです。
魂は、「神的であり、不死であり、可知的であり、単一の形相をもち、分解されえず、常に同じように自分自身と同一であるもの」、すなわち「イデア」に似ている一方、肉体は、「人間的であり、可死的であり、多様な形をもち、知性的ではなく(無遠慮であり)、分解可能であり、けっして自分自身と同一ではないようなもの」、すなわち「物質(世界)」に似ている。
(プラトン『パイドン 魂の不死について』、岩田靖夫訳、岩波文庫、1998 年、77 頁)
有限の肉体は、不滅の魂を閉じ込める牢獄のようなもの。
だから、肉体の死によって魂がそこから解き放たれれば、純粋な「イデア」の世界、すなわち神的世界にいたることができるのだ、というのです。
「もしも、魂が純粋な姿で肉体から離れたとしよう。その場合、魂は肉体的な要素を少しも引きずっていない。なぜなら、魂は、その生涯においてすすんで肉体と交わることがなく、むしろ、肉体を避け、自分自身へと集中していたからである。このことをいつも魂は練習していたのである。そして、この練習こそは正しく哲学することに他ならず、それは、また、真実に平然と死ぬことを練習することに他ならないのだ。(中略)」
(同上 79-80 頁)
「まったくその通りです」
「それでは、魂が以上のような状態にあれば、それは、自分自身に似たあの目に見えないもの、神的なもの、不死なるもの、賢いもの、の方へと立ち去って行き、ひと度そこに到達すれば、彷徨や、狂愚の振舞いや、恐怖や、狂暴な情欲や、その他の様々な人間的な悪から解放されて、幸福になるのではないか。そして、秘儀を受けた人々について言われているように、残りの時間を真実に神々と共に過ごすのではないか。ケベス、われわれはこのように主張すべきだろうか。それとも、別のようにか」
「誓って、このようにです」とケベスは言いました。
肉体的な欲望を斥け、魂を純粋な状態にしていけば、肉体の死後は「イデア」の世界にいたり、「残りの時間を真実に神々と共に過ごす」ことができる。
つまり、再び生まれ変わり、牢獄としての肉体の中に入らなくてすむというわけです。
「哲学」で魂を純化する!
また『パイドン』には、肉体的要素に深くとらわれていた人々の魂は、重荷を背負った不純な状態であるために、肉体を離れた後も可視的な物質世界へと引きずり下されて、墓碑や墳墓のまわりをうろつく亡霊となり、生前の性格に似た種(人間や動物)の身体のなかに入り込むのだ、とも記されています。
「(前略)その上、そういう魂は、善い人々の魂ではけっしてなくて、卑しい人々の魂なの
(同上 82 頁)
だ。かれらの魂は、以前の生活が悪いものであったので、その罰を受けるために、このよう
なものの周りをうろつかされているのである。そして、これらの魂は、かれらに付きまとう
肉体的なものの欲望によって再び肉体の中に巻き込まれるまで、彷徨し続けるのである。そ
して、当然、かれらは、なんであれ生前自分たちが実践してきたような性格の中へ、入り込
むのである」
今世での不遇な境遇の原因を、前世での素行の悪さに求めるこの考え方は、「ウパニシャッド」に示されていた「輪廻」観にも通じる問題、つまり、容易に差別意識につながってしまう危険性をはらんでいるように思われます。
(たとえば、大食・好色・酒びたりの生活だった人はロバなどの獣に、不正・独裁政治・掠奪を好んだ人は狼や鷹や鳶に生まれ変わる、といった例も語られています…)
ここまでのお話で、プラトンが示した「生まれ変わり」思想は、俗世の欲望を断ち切って「輪廻」から解脱する必要を説いた古代インドの教えに、かなり近接していたことがお分かりいただけたのではないでしょうか?
しかし、そこには一つ、大きな違いがあるように思います。
それは、プラトンが「生まれ変わり」の連鎖を乗り越えるための手段として重視したのが、肉体的な修行に励むことや宗教的戒律を守ることなどではなく、「正しく哲学すること」、つまり学を愛する態度であった、ということ。
俗っぽい欲望に振り回されず、この世界の真理を学び探究していくことこそ、自身の魂を純化し神的世界にいたる鍵である、というプラトンの考え方は、中世・近代ヨーロッパにおける様々な神秘思想の、まさに土台となったと言っても過言ではありません。
プラトンは、後世の哲学者だけではなく、神秘主義・スピリチュアリズムの領域にも、かなりの影響を与えた人物だったんです!
そこで次回からは、このプラトンの思想を重要なルーツとして発展した、中世・近代ヨーロッパにおける「輪廻転生」観を考えていこうと思います。
「輪廻転生」を教義として持たないキリスト教が覇権を握るなか、プラトン的「生まれ変わり」の想像力はどのように受け継がれ、近代スピリチュアリズムへと結実したのでしょうか?
次回をお楽しみに!
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