YOKU STUDIO による連載企画、SPIRITUAL REBIRTH PROJECT。
今回からは、「輪廻転⽣ 再⽣」シリーズをお届けします!
皆さんは、「輪廻転⽣」という⾔葉からどのような印象を受けますか?
世の中には「前世診断」や「前世占い」などもたくさんあるし、それほどスピリチュアルに興味がなくても、何となく「⽣まれ変わり」というものがあることは信じている、という⽅は多いのではないでしょうか?
過去を⽣きた誰かの「⽣まれ変わり」として、いま⽣きている私がある。
私が⽣涯を終えたら、その「⽣まれ変わり」として、未来の誰かが⽣まれる。
このような、直線的な時間軸に沿った魂の連続性が、⼀般的な「輪廻転⽣」のイメージかと思います。
「⾁体の死の後を迎えた後も、魂は存在し続け、新しい⾁体に⽣まれ変わる」という考え⽅は、古代の⺠族宗教にまでさかのぼれる、歴史の古いものです。
現代に息づく「輪廻転⽣」の想像⼒
しかし、まず⼤前提として、⼈はあくまで個の⽣命として⽣まれ、個の⽣命として死んでいく、というのが、⾃然科学の分野においては常識ですよね。
つまり、過去世や未来世という存在、魂の連続性を想定する「輪廻転⽣」は、科学的な⽴場においては、否定されるものであるわけです。
(もちろん、「前世の記憶がある」という⼈物に対する、科学的な研究などがないわけではありませんが…)
けれど不思議なことに、⾃然科学の常識が社会の隅々にまで⾏き渡り、あらゆる⼈々がテクノロジーを駆使した⽣活を送っている現代においてさえ、「輪廻転⽣」の想像⼒というのは、かなり存在感を持っているんです。
⽂学や漫画、映画、ドラマなどを例に考えてみるとわかりやすいかもしれません。
古今東⻄を問わず、「⽣まれ変わり」をテーマにした作品は本当にたくさんありますよね。(最近だと、TBS 系ドラマ「妻、⼩学⽣になる。」などがまさにその代表でしょうか。)
また、元々の Web ⼩説が漫画化・アニメ化され、⼈気を博している『転⽣したらスライムだった件』などの、「異世界転⽣もの」というジャンルも、盛り上がりを⾒せています。
もちろん、これらの作品はフィクションです。
しかし、それを私たちが楽しんで受容することができるのは、多かれ少なかれ、「もしかしたら⽣まれ変わりは本当にあるかもしれない」という認識を持ち、そこに感情移⼊できるからなのではないでしょうか。
つまり、「⽣まれ変わり」をテーマにした作品が、今なおこれだけポピュラーなのは、私たち現代⼈のなかにも「輪廻転⽣」の想像⼒が息づいている、ある種の証拠とも⾔えるように思うのです。
現代⼈の死⽣観と「輪廻転⽣」
宗教⼈類学の研究者である⽵倉史⼈⽒は、その名も『輪廻転⽣』という 2015 年の書籍の中で、「輪廻転⽣」の概念が、現代⼈にもかなり受け⼊れられていることに注⽬しています。
ISSP(International Social Survey Programme、国際社会調査プログラム)が 2008 年に実施し、世界中から 40 以上の国と地域が参加した宗教意識調査において、「輪廻転⽣を信じますか?」という質問をしたところ、⾮常に多くの地域で、⼀定の層が「あると思う」という回答をしたというのです。
⽇本にいたっては、4 割以上の⼈が「あると思う」と回答したそうです。
⽵倉⽒はまず、「輪廻転⽣」という想像⼒が、世界中でかなり広範囲に受容されていることを指摘します。
その起源が古代インドに求められることもあり、「輪廻転⽣」という概念は東洋思想との結びつきが深いというイメージがありますが、実はアメリカをはじめとする⻄洋諸国でも少なからず信じられている。
さらに続けて指摘するのは、⼈々が持つ「輪廻転⽣」という想像⼒が、彼らが信仰する宗教に由来するものでは必ずしもない、ということです。
たとえば、ユダヤ教徒が⼈⼝の半数以上を占めるイスラエルにおいて、ユダヤ教の正統派には「輪廻転⽣」の教義が存在しないにもかかわらず、半数以上の⼈が「輪廻転⽣はあると思う」と答えている。
つまり、特定の宗教の枠に縛られない、いわば普遍的なレベルで、「輪廻転⽣」の想像⼒は世界中の⼈に影響を与えていると考えられるのです。
(⽵倉史⼈『輪廻転⽣ 〈私〉をつなぐ⽣まれ変わりの物語』、講談社現代新書、2015 年、12-17 ⾴参照)
「輪廻転⽣」の想像⼒は「つながりの感覚」をもたらす?
また⽵倉⽒は、現代⽇本における「輪廻転⽣」の想像⼒は、個⼈主義を前提とした「スピリチュアリティ」という概念の普及と、切り離せないものだと⾔います。
どういうことでしょうか。
かつて⽇本においては、家族(家系)や地域の結びつきが強く、そのような⼩さなコミュニティのなかで、神道を中⼼とした⼟着の宗教形態が共有されていました。
けれど、⾼度経済成⻑期を経て、⼈々の地域間移動は活発になり、核家族も増えた。
そうすると、社会は多様かつ流動的になり、地縁・⾎縁を基盤としていたかつての伝統宗教の機能が失われていったわけです。
そこで、伝統宗教の替わりとして登場してきたのが、「スピリチュアリティ」という、地域や家系といった限定性に縛られない、個⼈個⼈による、とても⾝軽な精神性の探究(いわゆる「スピリチュアル」ですね)だったというのです。
⼤雑把にいえば、スピリチュアリティ⽂化は個⼈主義を旨とするライフスタイルに適応した、宗教の新たな様式のひとつといえます。そして注⽬すべきことは、このスピリチュアリティ⽂化における死⽣観のなかで中⼼的な役割を果たしているのが「輪廻転⽣」であるという事実です。
(同上 209-210 ⾴)
⽵倉⽒は、伝統宗教のような強い地縁・⾎縁的つながりをもたない「スピリチュアリティ」の実践が盛んな現代において、それでも個⼈が、誰かしらとの共同性を獲得するための⼿段として、「輪廻転⽣」の想像⼒があると論じます。
たとえば、「私の前世は、中世イタリアの修道⼠だった」と感じている⼈がいたとして、その⼈の想像⼒のなかでは、地縁・⾎縁を超えたグローバルな共同性で、「中世イタリアの修道⼠」とのつながり、つまり魂の連続性を獲得することができているわけです。
制度的であれ精神的であれ、⼈びとの社会的紐帯を強化するのは、宗教のもつ重要な機能のひとつです。現代の⽇本社会に暮らす⼀部の⼈びとのライフスタイルにとって、⽣まれ変わりという世界観が醸成する「つながりの感覚」が必要とされるのであれば、これからも輪廻転⽣は⽇本⼈の重要な死⽣観のひとつとして保持されていくに違いありません。
(同上 211 ⾴)
たしかに、「輪廻転⽣」という想像⼒は、私という存在を他者との連続性のなかで捉えることにより、何らかの「つながりの感覚」を⽣み出すことに⼀役買っていることは確かでしょう。
その「つながりの感覚」が、「いまここ」を⽣きる私にとってのエネルギーになるのであれば、そこには⼤きな価値があります。
しかしながら、その「つながりの感覚」が、時に「カルマ」的に働いて、「いまここ」の私を縛りつけるものになってしまうことも…。
「私は前世で悪⾏三昧をした⼈間だったから、今世では不運続きに違いない…」という思い込み、あるいは、「私は前世で⼤国の皇帝だったから、今世でも権⼒を掌握し、活躍しなければならない!」といった強迫観念などが、その例です。
そこでこの連載では、この「輪廻転⽣」という概念の功罪を、その歴史的な変遷も踏まえつつ、詳しく解き明かしていきます。
その上で、「輪廻転⽣」を、現代「スピリチュアリティ」において要請される「死⽣観」という枠にとどまらず、私たちの毎⽇の⽣活⾃体を豊かにしてくれるような、もっと⾃由な想像⼒として、「再⽣」していこうと思います!
つまりどういうことかというと。
アセンション期と呼ばれる現代においては、「死んで、別の⾁体に⽣まれ変わる」という⼀般的なイメージとは異なる形で、「輪廻転⽣」を再定義できる、というのが YOKU STUDIOの考えなんです。
実は私たちは、⽇々の暮らしのなかで、不断に「⽣まれ変わり」を経験できるのかもしれません…!
YOKU STUDIO による「輪廻転⽣ 再⽣」、どうぞご期待ください!
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