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マインドフルネスとかかわる人々

現代では、マインドフルネス瞑想は、注意力や集中力を高めるための訓練として活用されています。

そのような瞑想の効果は、神経科学の分野で確認されています。

わが国でも、ビジネスマン向けのマインドフルネス・プログラムが実践されるようになりました。

その起源は、インドで仏教が発祥したころまでさかのぼることができます。

僧侶の方々が継承してきたような修行方法が、現代のマインドフルネスのもととなっています。

また、心理学や精神医療の分野でも、精神疾患などを治療するために瞑想を取り入れた研究者がいました。

彼らが、マインドフルネスの科学的な効果を証明するために貢献してくれたのです。

この記事では、マインドフルネスを研究して、その普及に貢献してきた重要な人物について説明しようと思います。

【マインドフルネスとかかわる心理学者】

①ジョン・カバットジン

近代のマインドフルネスを実践的なものとした人物は、アメリカにあるマサチューセッツ大学の教授である、ジョン・カバットジン(1944年-)でした。

カバットジンは、禅の修行でおこなわれているような瞑想や生活習慣を精神疾患の治療法として取り入れました。

1979年には、マインドフルネスセンターを設立して、ストレスや疼痛に悩まされている方々を対象とした瞑想を指導しはじめました。

彼はマインドフルネスに『注意を払う特定の方法で、意図的であり、現時点に焦点を定め、価値判断を下さない』という定義を与えました。

ものごとをありのままに観察して受け入れるという訓練をつうじて、患者がストレスに耐える能力(ストレス耐性)を育むことができるようにすることをめざしたのです。

この定義は、彼が《マインドフルネスストレス低減法(MBSR)》とよんだ治療プログラムを要約した記述であるといわれています。

《MBSR》では、患者がストレスをコントロールする能力を回復するように促します。

いまここの瞬間を意識しながら生きることができるようにするための訓練が、同時に、ストレス耐性をつけるための訓練となるのです。

ストレスをコントロールする、といっても、患者にとって厳しいことをさせるのではありません。

むしろ、カバットジンは、彼のクリニックで、患者たちはなにもしない、ということを述べています。

彼らが、ただ意識を集中するだけの時間を確保して、ただ存在していることに意識を向けているため、外から見れば、なにもしていないように見えますし、実際に、なにもしていない(ということをおこなっている)、ということです。

自己が、ただ存在している、ということに注意を向けることが、マインドフルネス瞑想の意義なのです。

現在でも、精神医療で活用されるマインドフルネス・プログラムは《MBSR》を参考としています。

また、彼の理論は、ツインデル・シーガルとマーク・ウィリアムズが開発したプログラムである《マインドフルネス認知療法(MBCT)》に影響を与えました。

医療のマインドフルネスは、カバットジンの研究からはじまったのです。

②ツインデル・シーガル

精神疾患の治療という観点からマインドフルネスを活用しようとしたのは、カバットジンだけではありません。

ツインデル・シーガル(1956-)は、ウクライナ生まれの心理学教授です。

彼は、もともと、マーク・ウィリアムズや、ジョン・ティーズデールとともに、うつ病を治療するための心理学を研究していました。

彼らは、ケンブリッジ大学で、うつ病のメカニズムについて話し合いました。

彼らは、そのころ、すでにおこなわれていた、認知療法や、セロトニンを投与する薬物療法に、限界を感じていました。

なぜなら、それらの認知療法では、うつの再発を防止することについて、考慮していなかったからです。

うつ病の患者を追跡調査したことによって、一度うつ病にかかったことがある人々の再発率よりも、過去三回にわたって再発した人々のほうが、そのあと発症する確立が高い、ということがわかっていたのです。

そのため、彼らは、うつを軽くする効果が維持されるような治療法を探していました。

そして、認知療法に、注意の訓練を取り入れることを決定しました。

そのような背景から、彼らが参考としたのは、カバットジンが開発した《MBSR》のメソッドでした。

患者の方々に、自己を一歩引いた視点から見る、という『脱中心化』の観点をもたせることが、うつの防止に効果があると考えたのです。

シーガルたちのグループが開発した《マインドフルネス認知療法(MBCT)》は、いまでは《MBSR》とともに、臨床マインドフルネスで頻繁に実践される治療法となりました。

③ダニエル・ゴールマン

心理学者でありながら、ニューヨーク・タイムズのジャーナリストでもある、ダニエル・ゴールマン(1946-)は、EQ(こころの知能指数)に注目しました。

EQというのは《emotional intelligence quotient》ということばを短くしたものです。

イェール大学の教授(現在は学長)である、ピーター・サロベイや、ニューハンプシャー大学のジョン・D・メイヤーらによれば『感情をうまく管理し、利用できることは、能力である』というのがEQ理論です。

そして、サロベイとメイヤーは、だれでもEQの能力を後天的に訓練することができる、という事実も指摘しました。

1995年に、ゴールマンは《EQ こころの知能指数(原題《EMOTIONAL INTELLIGENCE》)》を出版しました。

本書がベストセラーとなったことによって、情動的知性が、世間に浸透することとなりました。

EQの理論は、マインドフルネスの研究者たちにとって、重要な観点となっています。

自己の情動をコントロールしながら、人間関係や社会においても情動的な能力を活用する能力は、マインドフルネスによって鍛えることができます。

ゴールマンはマインドフルネスを基本として研究しているわけではありませんけれども、EQの概念は、マインドフルネスとのかかわりが深いとされています。

④チャディー・メン・タン

アメリカの大手IT企業である、グーグル社で、2015年までエンジニアを務めていた、チャディー・メン・タン(1971-)は、同社の社員にマインドフルネスを推奨していました。

彼は、社内では『陽気な善人』という肩書きを自称するなどといった、ユーモアを好む人柄で知られています。

メンは、プログラムを発案するにあたって、ダニエル・ゴールマンの講演を聴いた、ということを述懐しています。

グーグルの社員たちは、メンが開発していたマインドフルネス・プログラムを《サーチ・インサイド・ユアセルフ(SIY)》とよぶようになりました。

2016年に出版された、そのプログラムの名前と同名の書籍では、メンは、EQの重要性を強調しながら、マインドフルネスのメリットを述べました。

彼は、マインドフルネスの実践が、自己の内面や私生活だけではなく、ビジネスの場面や、人間関係においても、さまざまな恩恵をもたらすことを説明しています。

《SIY》で推奨されているのは、禅で実践されているような呼吸瞑想や静座瞑想(坐禅)といった、個人による実践の方法だけではありません。

それらに加えて、いわゆる傾聴術のような、ふたり以上で他者とともにおこなう訓練も、広い意味における瞑想のうちに含まれています。

目の前のことに注意を向ける訓練ならば、どのようなことでも瞑想とすることができる、ということを、メンは、理解しているのです。

彼は、グーグル社を退社したあとも、マインドフルネスを普及させることを目的として《SIYLI》という団体を創設しました。

メンが開発したプログラムは、ビジネスマン向けのマインドフルネスとして、さまざまな企業で参照されています。

【マインドフルネスとかかわる出家者】

①ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)

心理学や、精神医療は、近代科学の発達にともなって、急速に進歩を遂げました。

しかし、心理学そのものは、近代の産物ではありません。

たとえば、古代ギリシアでも、心理学とよばれた学問はありました。

夢の内容をおもいだすことによって無意識の願望を知る、という夢分析も、古代ギリシア人のあいだで、すでにおこなわれていました。

おそらく、インドの場合には、古代の心理学を打ちたてた人物は、ブッダ(紀元前400年頃)であった、ということができるでしょう。

ブッダは、シャカ族の王子として生誕しました。

ブッダの本名は、ゴータマ・シッダールタでした。

ゴータマは、王族であったにもかかわらず、この世の苦しみを見て出家しました。

そして、修行をして真理の悟りを開いたあとには、ゴータマには、ブッダ(真理に目覚めた人)という尊称が与えられました。

いまでは、仏教では、ブッダといえば、彼のことをさすようになりました。

ブッダが悟りを開いたあと、最初の説法で説いた教えのうちの一つが『正しく意識すること(正念)』でした。

『正念』は『八正道』とよばれる、八つの正しいおこないのうちの一つです。

八正道は『正見(正しい見解)』『正思惟(正しい考え方)』『正語(正しい言葉)』『正業(正しい行動)』『正命(正しい仕事)』『正精進(正しい努力)』『正念』『正定(正しい精神統一)』という八つであり、八本スポークの車輪のように、ひとつが動けば、おのずから、ほかのおこないも発生する、という思想です。

そして『正念』という語は、欧米では『Mindfuness』と翻訳されたのです。

②道元

わが国に禅宗の坐禅を伝えたのは、道元禅師(1200-1253年)のような、鎌倉時代の僧侶でした。

道元は、13歳で出家したあと、24歳のときに宋王朝時代の中国に渡って、禅を学びました。

1227年には、わが国に帰国しました。

そのとき、彼は、坐禅についての解説書である《普勘坐禅儀》を著しました。

《普勘坐禅儀》には、いくつかの異なる版がありますけれども、いずれも、坐禅の心構えや、瞑想の実践について、初心者にわかりやすいように説明しています。

道元が説いた禅の心構えは『只管打坐』というものです。

『只管打坐』というのは、ただ座って、いま、この瞬間に存在していることに注意を向ける、ということです。

よけいなことをしないで、自己の存在を実感する、ということは、マインドフルネスの基本となります。

カバットジンも、また『なにもしないということをする』ということの大切さを強調しています。

《普勘坐禅儀》は、すでに古典となっていますけれども、現代においてマインドフルネスを実践しようとする人々が読んだとしても、学ぶことが多い文献となっています。

道元は、そのほかにも《正法眼蔵》など、多くの経典を書いた、ということが知られています。

《典座教訓》という著作では、寺の食事や料理を重要視するなどといった、彼の視野の広さがうかがわれます。

道元がわが国にもたらした坐禅のメソッドは、現代のマインドフルネスにおいては、静座瞑想という名称となって、彼が生きていた時代から800年ほど経ったあとでも実践されています。

③ティク・ナット・ハン

ベトナム仏教の禅僧であった、ティク・ナット・ハン師(1926年-2022年)は、マインドフルネスだけではなく、反戦運動とのかかわりでも知られています。

1966年に、彼は、ベトナム戦争にたいする和平を提案しました。

彼の平和運動は、ただ社会運動に訴えるだけではありませんでした。

詩をつうじて、人々のあいだに平和の心を啓発する、というやり方も、また、ハンの活動のうちのひとつでした。

彼は、禅をつうじて社会に参加することを説きながら、そのことを実践していたのです。

マインドフルネスの思想において、ハンは、思考を沈黙させることを重要視しました。

彼は、われわれの心の中でやむことがない雑念を『NSTというラジオ』というたとえで表現しました。

『NST』というのは『ノン・ストップ・シンキング』の頭文字です。

『マインドフルネスは心のなかの雑音を鎮める練修です』という彼の主張は、外部からくるさまざまな情報に煩わされている、現代のわれわれに、大切なことを教えてくれます。

ハンは、昨年の1月22日に入滅されました。

【まとめ】

アメリカ出身のマインドフルネスの研究者は、マインドフルネスの瞑想を宗教的な信仰と切り離す傾向が強いといわれています。

もちろん、わが国でも、過去とくらべるならば、仏教や、禅の概念は、われわれの生活から離れたものとなっています。

時代が変わるにつれて、宗教がわれわれに馴染みにくいものとなってしまうことは、仕方がないことです。

しかし、その一方で、マインドフルネスが、万人のために開放された、メンタル・トレーニングの方法となったことも事実です。

禅が、マインドフルネスという新しい解釈で捉え直されたことによって、かえって、われわれにも親しみやすいものとなったのです。

長い歴史の中でも、マインドフルネスがそれぞれの時代の人々に合ったライフスタイルとなっている理由は、やはり、心の安定を求める人々や、そのための方法を伝えようとする人々がいるからだと思います。

kunitada
執筆者

『文化的なことを記事にする』という目的をもって、ライターをしています。2021年に、マインドフルネススペシャリスト資格を取得。その時期のご縁から、マインドフルネスや心理学について執筆する機会をいただくこととなりました。ふだんは、美術や文学についての文章も書いています。

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