YOKU STUDIO による連載企画、SPIRITUAL REBIRTH PROJECT。「スターシード 再⽣」シリーズ、第8弾です!
前回は、ニューエイジ運動から派⽣したスターシード⾔説として、バーバラ・マーシニアック『プレアデス+かく語りき』を取り上げ、分析しました。
この地球は、宇宙規模の情報交換センターとするべく、「光」の存在によって作られた場所であり、私たち⼈類もまた、様々な宇宙⽂明の DNA をブレンドして⽣み出された。
しかしその後、新たな⽀配者たちの細⼯によって、⼈類と宇宙との情報交換は制限され、混乱と恐怖のなかに置かれるようになってしまった。
だから、⼀⼈ひとりの認識を変えてその⽀配から抜け出し、宇宙規模の「光」のなかに回帰することが必要だ!という主張が、そこでは展開されていました。
つまり「スターシード」⾔説は、宇宙と調和した素晴らしい状態こそ、私たちの本来の姿なのに、ある種の「敵」(彼らも宇宙の⼀部としての存在ではあるのですが…)によってそれが損なわれている、という、グノーシス主義的な主張と表裏⼀体なのです。
だから、あらゆるものが調和している状態を⽬指す⼀⽅で、地球における権⼒構造、資本主義社会のあり⽅を仮想敵と⾒なす考え⽅におちいりがち。
「スターシード」⾔説が持つ、ある種の「陰謀論」にもつながるような雰囲気は、ここから来ているんですね…
でも、「光」としての「本当の⾃分」と、それを妨げてくる「敵」を単純に区別することは、調和や統合とは真逆の、分離的な考え⽅につながってしまうように思うのです。
アセンション期と呼ばれ、⼈々の意識が、分離から統合へと向かうと⾔われているこの時代。
今こそ、「スターシード」⾔説にも、新しい位置付けが必要なのではないでしょうか?
lani での連載の最終回である今回は、YOKU STUDIO が考える、アセンション期にふさわしい「スターシード」の捉え⽅についてお話ししようと思います!
・「スターシード」⾔説における「敵」の設定
現代の⽇本社会は、まさに多様性の時代です。
キャリア、パートナーシップ、ライフスタイル…
かつて強く社会を⽀配していた伝統的な価値観は揺らぎ、⾃らが望む⽣き⽅を選ぶことのできる⾃由度は、以前に⽐べ、格段に拡⼤したと⾔えるでしょう。
しかし、その変化にともなって、現代社会がより「⽣きやすい」ものになったかというと、必ずしもそうではありませんよね。
社会全体に通底する明確な価値観を共有し、そのなかで⾏動していくことは、ある意味シンプルです。求められる態度もスキルも、はっきりしている。
(たとえば、寝る間も惜しんで会社のために働くことが良いとされる価値観が、社会全体に共有されている場合、社会に馴染むためには、「とりあえず働き続ける」という選択肢をとればいいわけです。もちろん、それが⽣活を豊かにするとは思えませんが…)
しかし現代社会において求められるのは、「空気を読む」「周りと上⼿くやる」という、⾮常に曖昧なスキルではないでしょうか?
(何事も過剰になりすぎず、ほどよいバランスのなかで⾏動し、周囲とほどよくコミュニケーションを取り、ほどよく⾃分の⽣活を楽しめる。現代社会で良いとされる⼈物像は、このようなものだと思いますが…実はそのような「ほど良さ」=「空気」というのは、明確に⾔語化できない分だけ、なかなか⼿に⼊れることが難しいのです)
その「空気」を上⼿くつかむことが苦⼿だったり、あるいはその「空気」に翻弄されがちだったりする⼈にとっては、現代社会というのは、かなり「⽣きづらさ」を感じるところであるように思います。
そして、そのような「⽣きづらさ」に対処するために、持ち出されるものの⼀つが、「スターシード」⾔説なのです。
「本当の私が輝ける場所はここじゃない」
「本当の私はこの世界で不当に抑圧されている」
「本当の私の居場所は、どこか別の、もっと素晴らしいところにある」
このような主張が、現代社会の「⽣きづらさ」の理由を⽰してくれるように感じられるからこそ、「スターシード」⾔説が⼈気を獲得しているのではないかと思うのです。
この世界における不条理さを感じた時、この世界をある種の「敵」として設定してしまえば、たしかにその瞬間においては、なぐさめを得ることができるでしょう。
しかしそれは、⽬に⾒える⾁体を抱え、様々な⼈に出会い、様々な物事に直⾯し、悲しさや苦しさ、嬉しさや楽しさなど、いろいろな感情を感じながら⽣きている、「いまここ」の私の⼈⽣そのものの否定へと、容易につながってしまいます。
・地球⼈だって宇宙⼈なんだ
「スターシード」は、ややスピリチュアル⾊の強い概念ではありますが、実は同じような想像⼒は、スピリチュアルに関⼼を持っていない⼈々の間にも、かなり浸透しているように思います。
ちょっと変わった趣味嗜好を持っていたり、性格につかみどころがなかったり、周囲の⼈とあまり会話が噛み合わない⼈のことを、「宇宙⼈」と表現することがありますね。
近年では、発達障がいを持つ⽅々(特に⼦どもたち)のことを、「宇宙⼈」と呼んでいるケースも⽬にします。
もちろん、この「宇宙⼈」という⾔葉は、必ずしも差別的な⾔葉ではなく、この世界における常識を超えた才能や可能性を持っている、という意味で、肯定的に⽤いられることもあります。
しかしながら⼤前提として、「この世界におけるスタンダードからは外れている」という区別の反映として、この⾔葉が⽤いられていることに注⽬すべきです。
また、他者からそう表現されるだけではなく、⾃分⾃⾝のことを「宇宙⼈」として認識している⼈も多いように思います。
それは、社会におけるスタンダードに当てはまらない⾃分を、この世界から区別し、その上位にある概念としての宇宙と同⼀化させることで、⾃分の⼼のバランスを保つ試みだと捉えることができるのではないでしょうか?
しかし、よくよく考えてみれば、私たちが住むこの地球も、宇宙に浮かぶ惑星の⼀つ。
そもそも、地球に⽣きる私たちはみな、宇宙⼈なのです。
この認識に⽴てば、いま⾃分が置かれている環境を否定して、その外部に救いをもとめるのではなく、⾁体を抱えた「いまここ」の⾃分を肯定してみることの⽅が、有意義であるように思います。
地球 vs 宇宙、内 vs 外という対⽴をいったん放棄して、あらゆる存在が宇宙の⼀部なのだと考えてみることが重要なのではないでしょうか?
・「スターシード」=「いまここ」の可能性を指し⽰すツール
「スターシード 再⽣ ③」で述べた通り、あらゆる⼈は「スターシード」であり、しかもそのハイブリッド。
そう考えれば、「スターシード」とは、「いまここ」の⾃分が置かれている世界を否定し、「宇宙」にルーツを持つ⾃分を特権化する概念にはなり得ません。
「スターシード」は、ごく⼀部の⼈だけ当てはまるラベリングではなく。
この世界のなかでどのような特性や才能を発揮しやすいかという、「いまここ」の個⼈が潜在的に持つポテンシャルを想像する上で役⽴つ、全ての⼈間に当てはまる指標だと⾔えるのではないでしょうか?
「本当の⾃分」の居場所を探し求め、この世界における⽣を否定し続けていても、「いまここ」の積み重ねとしての⾃分の⼈⽣を楽しむことにはつながりません。
むしろ、「いまここ」の環境を⾃分にとって居⼼地の良い居場所に変えていくこと、⾃分の居場所を常に⾃分で作り出していくことが、⾃分の⼈⽣を肯定し、充実させていく鍵であるように思うのです。
この連載で何度もお話ししてきた通り、私たちが⽣きるアセンション期においては、あなたの意識の変⾰によって、あなたの⼈⽣の可能性をいくらでも広げていくことができます。
あなた⾃⾝にとってしっくりくる⼈⽣を、周囲との関わりを⼤切にしながら、常に⾃らの⼿でデザインしていくことができる時代において。
「スターシード」をめぐる想像⼒は、この世界におけるあなたの⽣の可能性を広げていく⼀つのきっかけになるからこそ、重要だと⾔えるのではないでしょうか?
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第 50 回まで、⻑きにわたりお届けしてきたこの SRP 連載。
lani での連載は今回で終了しますが、これからも YOKU STUDIO では、スピリチュアルについて深く考え、その可能性を探るプロジェクトを継続していきたいと考えています。
Note 等での発信は精⼒的に続けていきますので、ぜひこれからも、私たち YOKU STUDIOにご注⽬いただけると嬉しいです。
これまで連載をご覧くださった皆様、本当にありがとうございました!
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