精神医療では、マインドフルネスを実践することによって、うつ病を改善する効果が得られることがわかっています。
瞑想や、注意力の訓練をする、臨床マインドフルネスの治療法は、医学的に、その効果が証明されています。
この方法では、抗うつ薬による投薬治療よりも、回復する速度が早い場合もあります。
この文章では、マインドフルネスがうつ病の治療にどのような影響をもたらすのか、ということについて述べようと思います。
まず、専門家の治療を受ける
もしも、読者の中に、うつ病の可能性があるか、実際に、うつ病であると診断された方々がいるならば、まず、ことわっておかなければならないことがあります。
それは『この文章を読んだあとで、自分だけの判断でマインドフルネスを実践しようとすることは、おすすめできない』ということです。
原則として、うつ病など、精神障害を治療しようとするときには、精神科医や、カウンセラーなどといった、こころの専門家から、協力や助言をもとめることが大切です。
彼らは、こころの病について、正しい知識と治療方法を知っています。
こころの病をひとりで解決しようとしないで、他者を頼ってもよいのです。
昔は、うつ病はセロトニンの不足を補えば治るといわれていましたけれども、現在では、患者が体験した心の傷(トラウマ)など、より複合的な観点から治療をすることが求められています。
近年、わが国の精神科医の中にも、治療方法として、マインドフルネスを導入している方々がいます。
こころの病を治療するためのマインドフルネスは、臨床マインドフルネスとよばれています。
もしも、臨床マインドフルネスの治療を受けてみたいと考えているならば、そのような、知識をもっている人物を探してみるとよいです。
もしも、マインドフルネスの知識をもった精神科医がいるならば、瞑想や、気づきを保つことについて、正しい方法を教えてもらうことができます。
精神医療のマインドフルネス
もともと、近代のマインドフルネスは、精神医療の分野で研究されていました。
アメリカの精神科医であった、ジョン・カバットジンが、精神障害を治療するために、禅の修行法を取り入れたのです。
カバットジンが開発したプログラムには『マインドフルネスストレス低減法(MBSR)』という名称が与えられました。
MBSRは、禅の、自己にたいする気づきを保つ訓練によって、ストレスに対処する能力(ストレス耐性)を養う、というものです。
そのあと、臨床マインドフルネスは、研究がすすむとともに、発展してきました。
カバットジンの理論と、MBSRのプログラムは、認知療法と組み合わされました。
また、神経科学では、脳の断面図を測定する方法によって、瞑想が脳にもたらす変化が証明されています。
いまでは、ビジネスの分野でマインドフルネスが人気ですけれども、精神医療のほうでも、ますます、その応用が期待されているのです。
うつ症状と脳
人は、一生のあいだに、4〜9パーセントの確率でうつ病にかかるといわれています。
うつ病は、気分が落ち込んだ状態が長い時間のあいだにわたってつづく、気分障害のうちのひとつです。
気分障害は、ほかの症状と併発することが多いとされています。
脳の断面図を見るときには、うつ状態の方々の脳には、特徴がある、ということがわかります。
その特徴というのは、平均的な脳とくらべて、記憶や情報処理をつかさどる、海馬という部位が、小さいくなっている、ということです。
もっとも、さいしょから、そのような脳だったわけではありません。
脳がストレスを受けるとき、海馬が小さくなります。
海馬は、情報処理とかかわる部位ですから、海馬が縮小するだけでも、脳の機能は、低下してしまうのです。
そのため、うつ症状で苦しんでいる人は、ほかの人々が簡単にできるようなことさえも、難しいように感じています。
また、うつ状態の脳は、扁桃体とよばれる部分が大きくなっています。
扁桃体は、ストレスとかかわる脳の部位です。
扁桃体の活動が過剰となるときには、うつ病のリスクが高くなるといわれています。
海馬の縮小と同じように、扁桃体の増大も、また、ストレスを受けたことによる影響が、その原因です。
大きなストレス体験は、脳の構造さえも変えてしまうのです。
うつ病にたいする瞑想の効果
臨床マインドフルネスは、うつ病だけではなく、統合失調症などといった複数の症状にたいして、改善する効果があります。
うつ病を治療するときにマインドフルネスを実践するならば、脳に、ポジティブな変化がおこります。
具体的には、下に示すような、うつ病の傾向とは反対の変化が、脳にあらわれるのです。
①海馬の増大
マインドフルネスを実践しつづけるならば、海馬が大きくなります。
海馬が大きくなる、ということは、記憶や情報処理の容量も大きくなる、ということです。
そして、海馬の容量が増えるならば、海馬のはたらきが、活性化します。
その結果として、ストレスに対処する能力も回復するのです。
②扁桃体の縮小
マインドフルネスの実践によって、扁桃体が小さくなる、という効果も、確認されています。
扁桃体が過剰にはたらいている状態が抑えられることによって、ストレスにたいするネガティブな反応が軽くなるのです。
③情動調整とこころの安定
情動というのは、感情と、その生理学的な反応のことです。
マインドフルネスは、不快な情動に対処して、情動を調整する機能を促します。
脳の部位でいうならば、前部帯状回皮質(ACC)が活性化します。
ACCは、大脳の全体をコントロールしています。
この変化は、マインドフルネスの訓練に慣れた人よりも、初心者のほうが、はっきりとあらわれる、という傾向があります。
また、注意力をつかさどる脳の部位である、前頭前野も、活性化します。
これらのはたらきによって、マインドフルネスを実践するときには、注意力が維持されるようになります。
ネガティブな思いが湧いてきたときにも、すぐに、感情を修正することができるようになります。
そのため、不安な感情が抑えられて、こころが安定するのです。
④脳の可塑性
人間の神経細胞の結びつきは、われわれの習慣によって、変化します。
神経が変化する、ということを、神経可塑性とよびます。
また、脳は、神経がまとまってできているものですから、脳にも、可塑性があります。
脳も、習慣や、こころがけしだいで、ポジティブな変化をします。
マインドフルネスにおける気づきの訓練は、海馬が大きくなったり、扁桃体が小さくなる、といった変化をおこします。
そして、その変化は、年齢とかかわりはありません。
昔は、脳の衰えは、とめることができないということが常識とされていました。
しかし、実際には、脳を若がえらせる方法がある、ということがわかっています。
たとえ高齢となっても、訓練をすれば、脳の機能は、改善されます。
マインドフルネスを実践したあと、減っていた脳細胞が増えた、という研究さえもあります。
マインドフルネスの瞑想や、そのほかの集中力の訓練は、いつからはじめても、遅くないのです。
脱中心化
うつ病の方々は、ネガティブな雑念が繰り返されるような状態に陥ってしまうことがあります。
つらい思いが繰り返されて、それにとらわれてしまうことを、反芻思考とよびます。
反芻思考では、こころの中で、負の連鎖が発生してしまうのです。
反芻思考から抜け出すためには、自己を一歩引いて見ることが有効です。
そのように、自己を一歩引いて見ることを『脱中心化』とよびます。
『脱中心化』の能力は、マインドフルネスによって涵養させることができることのうちの一つです。
うつ病や、不安障害に対処するためには、そのような『脱中心化』を訓練することが有効です。
マインドフルネスで推奨されているような瞑想では『ただ、存在している』というこころの状態(Beingモード)をつくります。
瞑想をしているときには、なにか、目的に向かっている状態から離れます。
なにかをしている状態(Doingモード)ありのままの自己を観察する訓練をするのです。
もちろん、瞑想は、一見すると、なにもしていない状態であるかのように見えます。
しかし、瞑想をしているときの脳波には、そうでないときとくらべて、変化があります。
瞑想をしているときの脳波は、アルファ波からシータ波にまたがる、6〜10Hzの周波数となります。
この周波数は、深い瞑想の境地を示す脳波です。
アルファ波は、ゆったりとした感情をあらわす脳波です。
脳がリラックスしている状態のときに、この脳波が発生します。
その一方で、シータ波は、まどろみと、集中力の脳波です。
シータ波には、DMNのはたらきを抑制する、という研究結果があります。
シータ波の状態では、脳の神経細胞は、情報のやり取りがしやすくなるのです。
そして、シータ波が出ている状態を多く経験することによって、脳の記憶や情報処理をおこなう部位である、海馬の歯状回に変化が起こります。
その変化というのは、新生ニューロンの数が増加する、ということです。
脱中心化のつぎには、マイナスの感情や思考を受け容れるようにします。
つまり、こころの苦しさそのものを否定しない、ということです。
ストレスの原因となる体験を、現実としてありのままに受け容れることができるようになる、ということが、受け容れのステップです。
ストレスを受けるようなことは、人生のうちでは、何回もおこる可能性があります。
つらいできごとにともなうストレスは、その大きさや状況によって、耐えることが難しいものであるかもしれません。
しかし、受け容れができるようになれば、自己をあたたかい目で見守る、ということもできるようになります。
自己への思いやりが、気持ちを楽にしてくれるのです。
たとえば、臨床マインドフルネスを研究している、大谷彰は、患者に向けて、受け容れと思いやりを教示するために、こころに浮かんだことは『空を通り過ぎてゆく雲のようなものですから、そのまま見つめるだけです』という説明をしています。
つまり、こころに浮かんでくるイメージのことを、大谷は『空を通り過ぎていく雲のようなもの』というたとえによって表現しているのです。
雑念が湧いてきたときには、雲が流れていく様子を眺めるときと同じように、通り過ぎていく流れにまかせながら、手放す、ということです。
実際の治療においておこなわれる、臨床マインドフルネスでは、うつの克服には、先ほど述べた『脱中心化』『受け容れ』『思いやり』という三つのプロセスが、成果をあげている方法なのです。
こころの病とマインドフルネスの実践
カバットジンが開発した、MBSRのプログラムは、集中力の訓練をすることによって、癒しを得ることが中心となっています。
マインドフルネスを使った癒しというのは、ストレスとうまくつきあっていく方法を学ぶ、ということです。
この方法は、ストレスを消してしまう、というものではありません。
ストレスは、人生の体験のうちの一部分として、受け止めながら、コントロールしなければいけません。
カバットジンは、ストレスを切り抜ける秘訣について『一つひとつの瞬間に十分に注意を集中することによって、良いことでも悪いことでも、自分が体験していることをすべて自分のものにする』と述べています。
それは、全体的な生き方を取りもどす、ということです。
人間の身体や精神には、自己を統制する能力があります。
地球が一つの自己統制力をもった自然であることと同じように、ひとりの人間にも、傷をみずから治したり、こころを調整する能力があります。
そのような、全体の結びつきを取りもどすためには、あらゆることを新鮮な目で見ることが必要となります。
そして、そのためには、注意力や集中力を高めて、自己にたいする気づきを保つ能力を取りもどすことが有効なのです。
MBSRプログラムは、このような、全体的な生き方をとりもどす、というプログラムです。
ただし、現在では、精神医療におけるMBSRプログラムは、カバットジンが採用していた方法を、より簡単にできるようにしたものをすすめていることが多いです。
マインドフルネスを実践するときの目標は、あまり高く設定しないほうがいいといわれているのです。
まとめ
うつ病にかかったことがない方々でも、うつ病を予防する方法として、マインドフルネスを実践することができます。
こころの病にかからずに生活をすることができているような場合にも、マインドフルネスを実践するならば、ストレス耐性を高める、という効果を実感していただくことができると思います。
もちろん、うつ病を改善する方法は、マインドフルネスだけではありません。
しかし、ふつうの治療法ではうまくいかない場合には、臨床マインドフルネスを、選択肢の一つとして考えてもよいかもしれません。
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