「初心者が最初に巡り会いたい『深楽しい』西洋占星術講座」にようこそ!
いつも記事を読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
今回は、「美少女戦士セーラームーン」とマドモアゼル愛氏の「月の欠損」、
そして、「リリス(黒き月)」を絡めて、
月についての理解を深めるための記事をお届けしていきます。
*以後、セーラームーンという名称で呼ばせていただきます。*
セーラームーンは、1991年の読み切り漫画「コードネームはセーラーV」を土台として、
翌年1992年から1997年まで連載が続いた大ヒット作品です。
尚、原作とアニメではストーリーが異なり、
2014年から2023年にかけて、
原作の物語に忠実なアニメ化を目指した「美少女戦士セーラームーンCrystal」が公開されました。
日本の漫画・アニメの業界では、作品のテーマを表現するために、
東洋の垣根を超えて、あらゆる要素が盛り込まれる傾向が見受けられます。
日本人の精神として、「全受容:あらゆる多様性を受け入れること」が根付いていると同時に、
作法や型に添って、学びの神髄を深める哲学が根付いているのではないかと思われます。
セーラームーンは、そういった日本人の精神性(全受容)の観点から、
太陽系システムを舞台として、感情や愛情、心の絆から死生観まで、
人間なら誰もが抱く「普遍的な生と性の物語」を描かれた作品ではないか、という風に思わずにはいられません。
また、「月の欠損」は、
日本の占星術業界の大御所として有名なマドモアゼル愛氏が2019年頃に提唱した、
「月の機能」や「月の正体」、「月の闇」についての1つの考え方・思想・哲学です。
月の欠損を提唱されてから、
ご本人が「賛否両論を沢山頂戴した」と仰っているように、
月は私たちの心・感情・大衆心理・集団的無意識に働きかける天体ですので、
至極自然なことのように思われます。
「月の欠損」が認知されるようになってから、
多くの方が自分の月のサインによって苦しんできた、
もしくは、月(心)を誤解してきた、という意見が圧倒的に見られるようになりました。
ですが、その一方で、月がそのまま「欠損」という「害悪」でしかないならば、
私たちは誰もが欲深く、幼稚で、自分勝手である、という人間の一側面だけを強調するだけでなく、
ホロスコープ・リーディングにおけるテクニックとしては使えない、という評価がされているのも事実です。
本講座では、「月の欠損」の是非を問うことはせず、
むしろ、月の複合的な機能を知り、月の理解を深めるための参考材料として考察を展開していきます。
そして、本記事のテーマは、
「太陽の実現・体現」を目指した人生のために、
「月」を理解する上で、セーラームーンと月の欠損を考察し、
ホロスコープ・リーディングにおける月の機能を深めることにあります。
今回の記事は、筆者・一ノ瀬 ユイの個人的見解が多分に含まれますが、
占星術に限らず、あなたの物の観方を深める1つの材料として捉えていただければ幸いです。
それでは、今回も最後までお付き合いくださいね!
以下の記事では、月を徹底解説していますので、
是非、振り返りや復習にご活用ください!
月の機能と役割
月の機能や役割とは、一体なんでしょうか?
一般的に、月は、「感情」や「情緒」といった心の働きを表すと言われますが、
それ以外に、月は、「時間」や「(個人の)内面世界」、
「安らぎ(の手段・環境)」、「無意識」、「死」なども象徴します。
また、月は地球の衛星です。
太陽と月の存在と働きによって、地球上には「時間の変化」が生まれます。
時間の変化によって、「時間の概念」や「季節」が生まれ、
地上の生命の営みがデザインされているため、
現在の地球において、月は必要不可欠な存在です。
では、占星術上の月はと言いますと、
月は複合的な機能・役割を持ち、簡単に理解することが難しい天体とされています。
本講座では、以下の9つを月の機能・役割としてご紹介させていただきます。
- あらゆる刺激・影響を受け止める「受容体」
- 太陽の実現・体現のための「手段」
- 「感情」や「情緒」を体験・体感するための機能
- 願望・欲望を抱かせる本能的な欲求
- 恐怖・リスクの回避を促す本能的な機能
- 安らぎ・安心感を求める先天的・本能的な機能
- 闇・影・トラウマを内包する内的空間(領域)
- 個人の精神世界(内的世界)、集団的無意識と分離し、また、繋がるための個の領域
- 時間と死
ざっと挙げただけでも、9つの機能と役割があります。
月は表層的な「感情・情緒」という心理と、深層的な「無意識」の領域を司る天体です。
それは「表」と「裏」の違いではなく、「深度」の問題ですので、
月を理解する上で大切なことは、
私たちが日常的に感じていることと、無意識的に感じていることがある、という風に、
私たちの知らないところで、
月は複雑な機能と役割を果たしている重要な天体である、ということです。
本記事は、月の解説記事ではありませんので、
月についての解説はこれくらいにさせていただきますが、
フォーカスを当てたいことは、「月に隠されている力」です。
月と幼稚性と、人生プログラム(人生脚本)の種
占星術では、月の年齢領域は、0~7歳とされています。
心理学の分野でも、7歳頃までに自我形成が完了する、と言われているように、
幼少期に体験した事柄によって、
私たちの人生の歩み方や内面の核の部分がこの時期に形成・固定されると考えられます。
幼少期の私たちは無力で、且つ、何の概念も抱いていない純粋な存在で、
両親を始め、周囲からの養育・保護によって育てられますが、
この段階において、私たちは「支配」をも受けることになります。
この時期の「支配」は、私たちの人生の土台となるとともに、
私たちに「不自由さ」をもたらす元凶となる、というのは大げさではありません。
月は「安らぎ」を求める心を表しますが、
その安らぎを求めさせる「恐怖」が背後に存在することを示します。
そのため、月の年齢領域において体験した「恐怖」や「トラウマ」、「心の傷」は、
私たちの人生の前進・停滞・後退に深く関わる、と言えるのです。
そうして、私たちは、心の奥底に根差し、発芽した
「人生プログラム(人生脚本)の種」を育て続けていることに気付かないまま、
「移ろう自分の心」と「移ろう外面の世界」に対して、常に不安を抱きやすくなります。
この辺りの理解は、マドモアゼル愛氏の「月の欠損」と繋がるところがあるのですが、
まだまだお伝えしないといけないことがありますので、
このまま月の機能と役割についてお話を続けていきます。
月と「大衆心理」と、セーラームーン
ホロスコープ上では、月は7ハウスのハウスルーラーです。
月は数秘2と関連し、アスペクトではオポジション(180度)に対応しています。
また、月は人間の身体では、末梢神経系や頭、肺などと対応しています。
月は、夜の天体であるとともに、女性天体です。
太陽が昼を司り、月は夜を司ります(セクト)。
月と金星は、「Hot&Moist(熱&湿)」の天体と見なされているところもあれば、
「Cold&Moist(寒&湿)」の天体である、と見なされているところもあります。
河内 邦利氏によれば、前者はネイタル占星術での月と金星の性質であり、
後者は、ホラリー占星術での月と金星の性質である、とのことです。
太陽を「父性」や「男性」、「夫」と見立てた場合、
必然的に、月は「母性」や「女性」、「妻」を象徴します。
それをハウスに当てはめますと、
太陽は4ハウス、月は10ハウスに対応しますが、
日本では、太陽と月が対応するハウスが逆になって普及している場合があるようです。
10ハウスが母性を表すことと、太陽が地上を照らすことを害することにはなりません。
なぜなら、10ハウスは場所や場面、分野、テーマを表すのであって、
太陽そのものの存在を表すのではないからです。
(ちなみに、10ハウスのハウスルーラーは火星です。)
10ハウスは「日の目を見る場所」であり、
最も影響力を持つ条件・状態を表しますので、
母性があまねく私たちの心理を掴むことから、
月は「大衆心理」を象徴し、
これが月の機能であり、私たちの心が集団的無意識と繋がる所以と言えるでしょう。
なぜ、「大衆心理」を強調したかと言いますと、
セーラームーンとく作品が、月(心)の力と存在感を私たちに知らしめたからです。
母性と女性性、少女性・処女性・乙女性
美少女戦士セーラームーンは、30世紀と20世紀をまたにかけて、
月の女王となる月野うさぎが主人公が体験する、
中学生~高校生の約6年間の間を戦いと愛の物語です。
月野うさぎは、おっちょこちょいで泣き虫、純粋な少女が表現されたキャラクターですが、
物語全体を見た時、
彼女と月が象徴する役割は、壮大で、深遠な母性まで発展します。
そのため、月野うさぎ/セーラームーンは、
場面や条件によって、少女性や乙女性、処女性といった純真な側面と、女性性、
そして、母性という発展的な側面を見せるため、
月を象徴するキャラクターとして非常に的確に描かれているキャラクターと言えます。
セーラームーンの物語は、
20世紀の未来である30世紀の地球や月、太陽系との関わりがあるとともに、
タイムパラドックスの要素をどのように解消するか、といった懸念点があるため、
私たちの普段の時間の捉え方とは異なります。
ですが、「時間は未来から流れて来る」という概念で捉えた時、
武内氏の着眼点とストーリー展開の紡ぎ方は、大変素晴らしいと言えます。
なぜなら、セーラームーンの物語の終盤では、
太陽系に生まれる生命や星々、引き起こる出来事が、
天の川銀河に存在するブラックホール:いて座Aスターから生まれ、
光が生まれると同時に、闇も生まれることを表現(明言)しているからです。
この辺りが、2024年08月20日の水瓶座満月のホロスコープ・リーディングの執筆の際に、
「月と死後の世界との繋がり」が刺激となり、参考となった概念です。
水瓶座満月は過ぎてしまいましたが、その時の星回りだけでなく、
ホロスコープ・リーディングの捉え方や考え方について解説していますので、
是非、見返してみてくださいね!
月が複合的な機能・役割を与えられているとして、
私たちはセーラームーンの物語によって、どのような刺激を受けたのでしょうか?
セーラームーンの連載が始まったのが1992年で、連載が終わったのは1997年でした。
1984年~1996年は、冥王星は蠍座を運行し、その後、射手座を運行しています。
太陽系の最遠の天体からもたらされる意識は、蠍座的な意識、
つまるところ、「物事を突き詰めて捉えること」であったのではないかと思われます。
その他、オカルトやニューエイジ活動が再燃したり、宗教絡みの事件が起きたことも記憶に新しいはずです。
また、セーラームーンCrystalが放映された時期は、
2009年~2023年に冥王星が山羊座を運行している時期とマッチします。
冥王星は、今年2024年11月20日から本格的に水瓶座を運行し始めますが、
過去に終了したセーラームーンシリーズが復刻したのは、時代の流れとマッチしつつも、
新時代への意識の転換という「水瓶座の意識の到来・予兆」に符合しているのではないかと考えられます。
そこで本記事は、
セーラームーンの物語を1つのきっかけとして、時代の流れとともに、
私たちがこれまで抱いてきた「現実」や「自分自身」についての捉え方が変わってきた、
という時代の流れをお伝えできればと考え、執筆を決めました。
月が象徴する「人気」や「大衆心理」は、
目に見えない世界と目に見える世界のどちらにも影響を与えます。
一般的に、心理学やカウンセリングなどは、密室や限られた空間で行われますが、
行動心理学やマーケティングなどの分野は、
誘導や扇動、共感や理解をもって、婉曲的ではありますが、
日の当たる場所で堂々と「大衆心理」を扱います。
そのため、月が象徴する「大衆心理」や「集団心理」は、
個人の心を流行や集団意識へと誘導する流れ(仕組み)を持つ、といっても過言ではないのです。
セーラームーンという象徴を挙げるとすれば、
「愛は世界(宇宙)を救う」という純粋な心や愛ではないかと思います。
ただ、本講座では、
これを「白き月」という「人に受け入れられやすい部分としての月」という観点で表現させていただきます。
その理由は後述させていただくとして、少しセーラームーンの背景について触れたいと思います。
セーラームーンと武内直子氏について
美少女戦士セーラームーンは言わずと知れた、
1990年代から続く日本の大ヒット漫画・アニメ・映画の作品です。
アニメシリーズや劇場版シリーズは世界40ヶ国で放映されていますので、
日本の代表的な作品と言っても過言ではありませんね。
著名人だからと言って、無暗に個人情報を晒すことは憚(はばか)れるため、
武内氏のホロスコープはお出しすることはしませんが、
セーラームーンの原作者である武内直子氏は、魚座の太陽と乙女座の冥王星を持つ方です。
本講座では、冥王星を「太陽の裏の顔」と表現しています。
武内氏のホロスコープでは、
おそらく、太陽と冥王星がオポジション(180度)のアスペクトを形成し、
人生で「魚座の意識」を体現するために、「乙女座の意識」を抜本的に覆す力を活用され、
占星術をはじめ、あらゆる学問や思想、哲学を盛り込んで、
セーラームーンを作り上げたのではないか、と思われます。
残念ながら、武内直子氏の正確な出生時間は分からないため、
月のハウスとサインを含めたホロスコープ・リーディングはできません。
そのため、今回の記事では、太陽と冥王星だけに注目をしています。
もちろん、正午12時で仮のホロスコープを出すことはできますが、
筆者としては、ご本人の許可を得ないまま、公の場での情報開示は控えたいと思います。
セーラームーンは、今年2024年で32周年を迎えます。
進行の月(プログレスの月)と土星のサイクルは約29.5年ですので、
セーラームーンの物語の大衆心理への影響は、
月と土星が司る「時間の流れ」と共振・共鳴している、と言っtも大げさではないと思います。
セーラームーンの物語の中で、
月野うさぎ/セーラームーンが、「幻の銀水晶」のエネルギーを使って、闇を打倒し、
新しい敵が現れる度に、パワーアップしていくのが印象的です。
セーラームーンが新しい力を手に入れると、他の戦士の力も引き上げられるのですから、
月が持つ力に比重が置かれていたことが分かります。
セーラームーンの物語に限らず、
世界中のあらゆる神話や伝承において、
祭祀や巫女といった存在や役割は、
男性には全うすることができない、女性だけが持つ特別な力や感受性、器があるとされています。
人間に限っては、妊娠24週目前後まで、性別は女性であり、その後性別が分かれます。
ユダヤ教・キリスト教では、
女性(イヴ/エヴァ)はアダムの肋骨から作られた、という描写がありますが、
それは男性優位の社会の中で、
女性が「虐げられるべき存在」としての意味を刷り込む側面があるのではないか、
と考える余地がありますが、
このようなことは、日本だからこそ発信できる内容であることは承知しています。
そこで、次回の記事では、
更に宗教観が多分に盛り込まれた「エヴァンゲリオン」を取り上げ、
リリス(黒き月)についての記事を執筆・公開する予定です。
「支配される月」としての認識については、本記事でも触れていきたいと思います。
繰り返しになりますが、
月は「大衆意識」や「集団意識」といった、「普遍的な心の在り様」を象徴します。
大多数の人の心が欲するものを意図的であっても、無自覚的であっても理解した上で、
特定の言葉や表現、環境を提供することで、物質社会では経済が回るようになっています。
ですが、その仕組みによって「純粋性」が汚され、
「支配を受け入れることが世の常」という
洗脳・刷り込みをこれ以上受け入れることができない、という気持ちになった時、
私たちの中の月は幼稚性や純粋性の奥にある、残虐性や暴虐性が顔を出すことになります。
占星術における「表には出せない月(心)」は、「リリス」であり、「黒き月」です。
セーラームーンの物語では、
主人公自身の悪感情ではなく、「敵の悪感情=望み・渇望」が描かれています。
なぜ、純粋な心は汚され、狙われるのでしょうか?
なぜ、月は、他の天体からの刺激や影響を受け入れることになるのでしょうか?
セーラームーンと食・新月
セーラームーンには、「ネヘレニア」という新月の女王(敵)が登場します。
鏡を介して現実世界に干渉し、
セーラームーン(クイーンセレニティ)の座や月の王国(シルバーミレニアム)を乗っ取ろうとするのが、
ネヘレニアです。
鏡は「黄泉の国」の象徴と言えますし、
新月は「太陽を食する月」の状態を表します。
地球にとっての新月や日食は、
「光が闇に囚われた世界」として恐れられてきた歴史があるため、
ネヘレニアが「心の闇」や「悪の権化」のような立ち位置で描写されていることは、
道理に適っているように思われます。
ネヘレニアについての背景や物語の重要な部分は沢山あるのですが、
今回は白き月との対比としてだけ取り上げさせていただきます。
もし、ネヘレニアを「黒き月:リリス(月の遠地点)」と捉えた場合、
「ある特定の条件・座標を迎えた時に、
人の心にある光と闇の割合が闇に傾き、外部への攻撃性が表出し、
月がリリスに乗っ取られる」と考えることは、自然な発想と言えるでしょう。
と言いますのも、
私たちが感情的・衝動的になる時、「我を忘れた状態」となり、
普段は起こさない言動をして、後悔することはそれほど珍しいことではないからです。
リリス:反逆と残虐性は純粋性の裏返しではない
純粋性は、私たちの心(月)に宿る生命の働きとも言える核心部分です。
そのため、「太陽の獲得・実現・体現」が達成される時、
月の純粋性とも言える「本願」が成就すると言えます。
本講座では、黒き月(リリス)は、
白き月が存在すると同時に必然的に存在する闇の領域である、という風に説明しています。
そのため、二元性の概念と観念において、
「光が正義である」と主張をすればするほどに、「闇が正義である」という主張も強まり、
対立的な正義感や闘争心は終わりの無い苦しみを生み続けます。
だからこそ、本講座では、「自己肯定」の重要性を訴えてきました。
自己肯定は、表現を変えるとしたら、「受容」です。
それは、セーラームーン/月野うさぎの愛であり、母性であり、光と重なります。
「愛の反対は無関心」と言われるように、
復讐心や妬み・嫉み・僻みといった悪感情は、
自分もろとも相手を破滅させようとする報われない、救われない想いです。
漫画やアニメ、映画、ゲームなどのあらゆる物語の敵や悪役は、
壮絶な苦しみや痛みを経験し、
その元凶となる対象者を打ち滅ぼすことで、その想いが消えるはずだ、
という想いに囚われている描写が多くされます。
ネヘレニアの場合は、同じ月の種族であるにも関わらず、
白き月の種族は表舞台で華々しく活躍し、また、周囲から愛されているのに対し、
黒き月の種族である自分は忌み嫌われ、鏡の中に封印されたことにより、
強い憎悪を抱いているキャラクターとして描写されています。
ネヘレニアを占星術に当てはめた場合、
黒き月(リリス)が対応すると思われますが、
講座で解説しました通り、複数のリリスが存在します。
- 小惑星リリス(リリト)
- ブラックムーン・リリス
- ダークムーン・リリス
小惑星リリス(リリト)は、小惑星ですので、月の軌道(白道)とは無関係ですが、
女性性や支配されない姿、創造性を発揮する姿として、リーディングに活用することができます。
本講座では、リリスはトゥルー値を採用しています。
ブラックムーン・リリスは、ホロスコープ上に、
十字の上に三日月が乗った黒い記号(シンボル)で表示される月の遠地点【Lilith(o)】です。
また、ダークムーン・リリスは、選択オプションで指定することによって、
【Walde】という感受点が表示されます。
ダークムーン・リリスは、ガスや気体の集まりのように、
はっきり見えない「幽霊」のような地点を指します。
ダークムーン・リリスに該当する存在については、
次の講座で取り上げるエヴァンゲリオンの「黒き月」や、
「エヴァンゲリオン・イマジナリー」などを材料として、
考察・解説をお届けしたいと思います。
話を戻しますと、ネヘレニアが「月(心)を壊す闇の世界の力」を象徴し、
太陽や地球さえも蝕んでしまうような存在として象徴されているのは、
月(白き月)が受け入れてきた外部からの刺激や攻撃、支配が、
内的世界の深部へと沈んでいくことを暗に示しているのではないか、
ということが考えられます。
その「報われない気持ち」や「救われない虚しさ」が究極的な破滅へと自らを導き、
自分と正反対の対象を打ち滅ぼすことに全身全霊を傾けさせるのです。
以下の記事では、黒き月こと、ブラックムーン・リリスを徹底解説していますので、
是非、振り返りや復習にご活用ください!
セーラームーンが狙われる理由:全世界を包容する光(愛)の所在
特に、本講座では、月を「あらゆる刺激や影響の受容体」として見なし、扱っています。
月は「武器」を持ちません。
唯々「受け入れる」のみです。
「小宇宙(ミクロコスモス)」である私たちも、
「大宇宙(マクロコスモス)」と相似形とはいえ、
外部環境や外部刺激に対して、いつも、どこでも受容的です。
その究極の立場を、月は担っています。
2014年から制作・放映された劇場版セーラームーンCrystalの完結編「Cosmos」では、
セーラームーンは、「なぜ、あらゆる敵が銀水晶の力を求めるのかが分かった」という旨の発言をしています。
”今、分かる。
あなたたちがなぜ私の力を求めていたか。
それは、私が愛する人を、仲間たちを求める気持ちと同じ。
私たちはみんな一人ぼっちの星なの。
だから求め合うの。
一つになりたくて。
一つ、それが私たちの始まりの姿。
だから今、私も、あなたを求めて、包んであげる。
このコルドロンの中で、すべてを救うために…!!”
~劇場版 美少女戦士セーラームーン Cosmos より~
アニメ版の美少女戦士セーラームーン・セーラースターズの最終話のタイトルは、
「うさぎの愛!月光銀河を照らす」です。
セーラームーンの物語は、セーラームーン/月野うさぎの慈愛の心(愛)によって、
光と闇が入り混じる宇宙銀河が照らされることで、闇の敵を倒して幕を閉じます。
ですが、原作やアニメ版、劇場版を通して語られていることとして、
最後の戦いが終わっても、遠い未来に再びカオス(混沌)が生まれるであろうことを示唆しています。
人間が存在する限り、心に闇は生まれるけれど、その度に他者を信じよう、
という強いメッセージで物語は完結するのですが、
これは創作物としてだけでなく、
現実的な心の在り様の本質を訴えていると言っても過言ではありません。
そのため、セーラームーンは、ただ「大衆心理」や「集団意識」に訴えかけるだけでなく、
誰もが普遍的に持っている、「愛を体験したい」という願いを表現することで、
世代を超えて、また、国境を超えて愛されている作品・物語なのだと考えられます。
セーラームーンと太陽の不在
ここで1つ、面白い説・考察を紹介したいと思います。
セーラームーンの物語には、男性の味方の戦士は実質的には登場しません。
セーラームーン/月野うさぎのパートナーである、タキシード仮面/地場衛は、
地球(国)の王子・エンディミオンは、ヒロイン的な立ち位置で描かれています。
これを、女性優位の世界観と捉えるか否かは、読者・視聴者に依るところですが、
本質は、「地球は月によって守られている」という表現のために、
地場守は、セーラームーンを常にサポートする立場を貫いているように見受けられます。
セーラームーンには、セーラームーンを守るために、
水星~冥王星の8天体の守護を受けている8人の戦士が登場します。
また、セーラームーンの娘・セーラーちびムーンの守護する戦士として、
四大小惑星である、セレス(ケレス)・パラス・ジュノー・ベスタが登場します。
ですが、太陽の守護を持つ戦士は描かれていません。
そのため、セーラームーン(月)が「銀河を照らす」と描写されていることから、
「セーラームーンは太陽と月の統合した役割を担っている」、
もしくは、「セーラームーンは太陽と月の両方を内包している存在である」という説・考察があります。
原作者・武内氏からのこの説・考察に対するコメントは無く、
また、制作サイドからの公式見解は発表されていません。
本講座では、「太陽は育てていく天体」と定義し、
人生経験によって心(月)の成熟が進むことで、
「太陽の獲得・実現・顕現」が果たされる、と表現しています。
本記事の冒頭で、9つの月の機能・役割をお伝えした中に、
「太陽(目的)のための月(手段)」という表現をしました。
生まれたばかりの光は、外側から見れば輪郭だけの、おぼろげな生命力に見えますが、
徐々に内側に秘められている生命力を外面へと放出・顕現していくことで、
私たちは「太陽のセルフイメージ」の獲得と体現を進めていきます。
そのため、太陽という生命力は、生まれながらに備わっているけれど、
自己経験値を積み重ねることによって、
私たちの存在としての影響力・価値が増していく、と考えることができるのです。
そして、この成熟のプロセスを見守り、
外界からのあらゆる刺激や影響を受け入れる存在として、
地球上に生きる私たちは、常に月によって生かされています。
以下の画像は、「育てていく太陽」を視覚化したものです。
右側の太陽が存在感や影響力を自覚し、他者に認識させることができる、
創造性が発揮されている状態を示しています。
本講座では、私たちの創造性の発揮は、火星期以降に実現する、と定義しています。
ただ、火星期から木星期終盤にかけて、
私たちの言動や振る舞いは自己経験値を主体として、
「対他者」や「対社会」といった概念や観念が強く、
外面世界へと生命力を放出するベクトルが強まると考えられます。
なぜなら、木星期の終盤まで、
私たちは1回目のサターン・リターン(土星回帰)からの自我意識の再構築のために、
社会的な役割を全うすることに専念するからです。
そして、木星期の終盤から土星期以降になると、
人は身体機能の喪失と引き換えに、精神性の成熟へと興味関心を移行します。
人によっては、第一線から退き、
後継者や次世代の育成に時間を投資することを喜びとするかもしれませんし、
逆に、全く異なる分野に心が惹かれることもあるでしょう。
特に、中年の危機を過ぎ、カイロン/キロン・リターンを迎える頃、
私たちは、自らの人生プログラム(人生脚本)を紐解き、
月の年齢領域に植え付けられた「負の経験」と捉えていたものを、
他者や共同体との関わりによって、
正と負という二項対立の囚われの意識から解放される可能性を感じ始めます。
そして、2回目のサターン・リターンによって、
私たちは「人生からの祝福」として、これまでの人生を肯定する体験・体感を得て、
より一層、「太陽の獲得・実現・顕現」にエネルギーを注ぐようになります。
カイロン/キロン・リターンを境に、
私たちの内なる太陽のエネルギーの現れ方が変わっていきます。
火星期~木星期終盤は、個人の「限界」に辿り着くまで、
私たちは「自我意識の再構築」や「存在証明」のために動きます。
もちろん、これは社会貢献とセットで行われます。
この時期の「存在としての生命力の現れ方」は、
「ギラギラ」とした棘のある輝きをもって、強い影響力と存在感を外へ放出・表現します。
ところが、徐々に、人生プログラム(人生脚本)を受容し、
「何者であるか」や「何者に成るか」という強迫観念が薄まっていくと、
私たちは「自我意識に対する執着」や「自我意識との同化」が解除されていきます。
これは、カイロン/キロン・リターンを迎え、
「自己投影」による人生経験ではなく、
「受容」による人生経験に意識が切り替わるからです。
この時期の「存在としての生命力の現れ方」は、
「サラサラ」とした、自制と自律によって、
ここぞという時や、何気ない日常生活の中で、
逞しい「生命の働きの響き」が立ち上るように
その人が持つ影響力と存在感を感じさせるようになっていきます。
「ただ存在するだけで安心感を与える姿」こそ、「全受容(全肯定)」の在り方です。
こういった境地に至るためには、
残念ながら、私たちは数多くの「無常」や「喪失」を経ることになります。
もちろん、こういった人生経験が起こる時期や数には個人差があります。
人生に仕組まれた(用意された)出来事は、人生から自然と流れて来る事象です。
こういった人生の長期的な流れを踏まえて、現状を把握する時、
私たちがいかに日常生活で一喜一憂し、
自分に対する信頼と尊厳を軽視しているかを認めざるを得なくなります。
この壮大な「人生の俯瞰」は、
月を土台として、土星の強制と導きによって、少しずつ積み重ねていくものです。
積み重ねられていく時間と経験を俯瞰することは、
私たちの本質が「自我意識」という仮初めの意識ではない、ということが分かります。
仮初めの意識とは、「思考と感情というマインド=エゴ」であり、
私たちが「私だと思い込んでいる意識」であり、
人生を思い通りに運び、全体から分かれ、分離の意識によって、自己防衛の意識を高め、
自然と分かつ存在として生きる道しか無い、と思い込んでいる「私たち」です。
この思い込みは、「闇」や「影」という風に表現することができますし、
「盲点(スコトーマ)を生じさせる元凶・障害」という風にも表現することができます。
本記事では、「月の欠損」と結びつけることができます。
月の欠損と結びつけるために、もう1つ触れておきたい要素があります。
セーラームーンと「純粋性」
セーラームーンの物語は、終盤に近づけば近づくほど、味方が減っていきます。
そして、最後には、セーラームーンはたった1人で敵と対峙し、平和を取り戻します。
大衆意識に働きかけるストーリーテリングとして、
「起承転結」や「緩急」は必要不可欠な要素である、ということは、以前よりも知られるようになりました。
「喪失によって人は強くなる」という展開は、
「死」や「喪失」を理由・口実・動機として、決断・決意を下すことを促すだけでなく、
「自分自身を頼る」という自力本願と、自己信頼の限界まで辿り着くことによって、
「目に見えない繋がり」を確信する、という人の意識の転換を明確にします。
それは、集団的無意識から個人の無意識へと強く働きかける
「見えざる力(フォース)」なのですが、
セーラームーンでは、これは「純粋な愛・光」として描かれています。
本講座の表現に置き換えますと、
それは「受容性」や「全受容」となるのですが、
それがどこから発せられるのかと言いますと、「月(心)」以外には考えられません。
理性的・理知的に物事を考え、左脳ばかりを使うことを促されてきた私たちは、
思考と感情(マインド)を、常に外部から刺激され、誘導され、
煽動されていることに無自覚であることが多いです。
そのため、「何をしていいか分からない」という不安定な心の在り方や、
「自分にとっての喜びが何かが分からない」という
本質の自分との分離の状態が常習化してしまうのですね。
そこで、占星術の観点から心の在り方を考えてみますと、
12サインの順序で人生を捉えると、物事は意外とシンプルであり、
誰もが普遍的な道を歩みながら人生を進んでいることが分かります。
- 牡羊座の意識:訳も分からず地上に生まれ落ち、自己証明を欲し、
- 牡牛座の意識:所有の概念を覚え、物質性・身体性に頓着し、
- 双子座の意識:外部との関わりと繋がりを欲し、
- 蟹 座の意識:味方と敵を分け、感情の安定を求め、
- 獅子座の意識:自己肯定を強く意識し、尊重されることを求め、
- 乙女座の意識:身の振り方、役割、義務を自らに課し、
- 天秤座の意識:他者や社会からの承認や評価を求めるようになり、
- 蠍 座の意識:自分にとって重要な事柄だけに専念することを望み、
- 射手座の意識:自らの可能性と視野を広げることを欲するようになり、
- 山羊座の意識:自分自身の存在と生きる価値を形に落とし込むことを試みて、
- 水瓶座の意識:自分を理解してくれる者との繋がりや場所を求めて、
- 魚 座の意識:最終的に、精神的な充足感を求めるようになる
簡単に表現しますと、人の成長物語や意識の転換は、普遍的な道筋を辿ることが分かります。
12サインの意識は、誰の内面世界にも存在し、機能していますが、
どの意識とエネルギーが強く、偏りや傾向の程度や、
こだわりや頓着・執着・愛着があるのか、によって、私たちの自我意識が観る世界は変わります。
月は、蟹座のルーラーですので、「自己防衛」のための安らぎのために、
感情に頓着・執着・愛着を強く持つ、というのが原理的な見方です。
ただ、月は、表層的な意識や普遍的な心理構造を示すだけでなく、
「私(あなた)を私(あなた)たらしめる”何か”」を内面世界に宿らせる役割を担っています。
セーラームーンで言えば、「銀河全体を照らす愛(光)」です。
劇場版 セーラームーン Cosmosの終盤では、
セーラームーンがラスボスの「シャドウ・ギャラクシア」に手を差し伸べ、助ける場面があるのですが、
セーラームーンがギャラクシアの手を咄嗟に掴んだ理由を問われた際に、このように答えています。
”手が伸びたのは、あなたの中に、孤独な私を見たから。
もう仲間を失うのは嫌だから。”
~劇場版 美少女戦士セーラームーン Cosmos より~
先ほど、蟹座は「味方」と「敵」を分ける性質を持つ、と表現しましたが、
それは、自己防衛のためです。
ですが、味方と敵を分けた途端に、対立と争いが始まります。
そのため、傷つけ合う戦いの果てに、
セーラームーンは目の前の敵さえも守りたいと思うと同時に、
敵の中に孤独な自分を見出したことで、目の前の人を失わないために手を伸ばしました。
水サインは、
「感情」に対して、「共感」(蟹座)を求めたり、「一体感」(蠍座)を求めたり、「救済」(魚座)を求めたりと、
同じ水のエレメント(属性)であっても、「自分と世界との関わり方」が異なります。
セーラームーンに敵をも受け入れさせたモノは何でしょうか?
ギャラクシア自身、星々を誕生させ、
セーラームーンへと配下を送り込んだ「カオス」にそそのかされた背景を持ちます。
ラスボスのギャラクシアは、様々な要素で成り立っているキャラクターですが、
最も分かりやすいシンボルとして、仏教的なモチーフで描かれる場面があります。
それは、曼荼羅です。
仏教についての詳しい解説は控えますが、
本記事で焦点を当てたいことは、
人の心にとっての「救済」、「心の拠り所」として、
「慈愛の心」を自らの内面に見出すために、
自らの行いのみに専念し、他者の過ちや行いを諦観する在り方です。
「諦観」は「諦めている境地」を意味しますが、
簡単に言えば、「コントロールすることを諦めること」であり、
「流れに委ねる究極の境地」と表現することができますが、
言葉にすると、実践と継続は非常に困難に思えますね。
惑星を簡単に滅ぼしてしまうほどの力を持つギャラクシアは、
セーラームーンという1人の女性(母性の象徴)に、
銀河中を探しても見つからなかった「居場所」を見出します。
”セーラームーン、お前はこの宇宙の、遥かな未来まで信じているのか。
お前はすべてを包み込む戦士なのか。
やっと見つけた。私の星は、大き過ぎて、眩し過ぎて、手が届かない。
だが、だが、その星は、この宇宙で永遠に輝き続けるだろう。”
~劇場版 美少女戦士セーラームーン Cosmos より~
この言葉を最後に、ギャラクシアは灰となって消えていきます。
最も闇に飲まれ、破壊に身を投じたギャラクシアが求めたものは、「安らぎ」でした。
その安らぎを差し出せるセーラームーンは、「母性」の象徴であり、「純粋な心」の持ち主です。
ですから、「月が心の奥底に隠しているもの」は、
「純粋な心」であり、「慈愛の心」ではないか、と考えられるのです。
占星術では、月は、単なる反射的な感情の装置ではありません。
月は、「自分が自分であるための安らぎを求める心の器」であり、
「他者と繋がりたいけれど、恐怖で慄(おのの)く未熟な精神」であり、
「自分自身と世界を受けいれ、愛したいという願い」です。
私たちは、自らの特別な純粋な心・境地を探しながら、人生を生きています。
そして、ある時、「目隠しをされていたこと」に気づき、
自分でその目隠しを外し、真に自分と向き合うことを始めます。
自己対話は1日、2日で完了するものではなく、
また、「自分だけ」のために深めるものではありません。
なぜなら、私たちは「先祖」の集合体として継承されて誕生した存在であり、
物質性だけでなく、精神性や霊性、無意識の繋がりによって、
私たちが考えている以上に、私たちは複合的な存在として生かされているからです。
こういった「自分の謎」や「生命の謎」は、
単なる神秘的な現象ではなく、「紐解くべき運命の物語」と言えるかもしれません。
セーラームーンの物語は、
「純粋に愛する自分を体験すること」や、
「愛される体験を感じさせてくれる人たちを守ること」、
そして、「世界を受け入れ、愛そうとする優しくも逞しい姿」として、
月(心)を描いているのではないでしょうか?
そこで、本記事の最後に、
マドモアゼル愛氏の「月の欠損」と結びつけて、月の理解を深めたいと思います。
月の欠損から見出される「自分以外に向けた純粋な願い」
月の欠損自体の内容の是非や、
マドモアゼル愛氏の思想や哲学、活動に関しての評価は一切行わず、
マドモアゼル愛氏が「月に見出した特別な何か」について言及したいと思います。
表層的には、「月=欠損=求めても得られないもの」という解釈がされがちですが、
行間や結論まで含めた上で、「月の欠損が伝えたいもの」を考えた時、
次のような表現ができるのではないでしょうか。
月の欠損の概要は、
「月サイン」に示されるものに対する衝動的・渇望的な執着は、そのままでは獲得できない、というものです。
そのままでは、とは幼少期の世界観・概念・知性・情緒のままでは、という意味であり、
「欲しがれば無条件に与えられる」という無邪気で、且つ、未熟な精神性を指します。
実際に、月は「幼少期の世界観」のまま時間が止まった内的世界を表し、
その世界に固定された概念や観念によって、
無自覚的・無意識的に日常生活に「癒し」や「安らぎ」をもたらそうと、
ヒト・モノ・体験を得ようと、私たちを駆り立てます。
そういう意味では、マドモアゼル愛氏が提唱する「欠損」という表現は、
「喉から手が出るほど欲しているのに得られない」という
虚しさや絶望感を体験する性質を見事に表していると言えるでしょう。
また、月の欠損で語られる理論の中で、最も重要なことは、
「月は自分のために使う星ではない」という概念・発想です。
これは、セーラームーンが全身全霊を懸けて
世界を、宇宙を、仲間を救おうと、照らそうとする純粋な心(慈愛の心)と共振・共鳴するのではないでしょうか?
2021年に出版された「月の教科書」から、いくつかマドモアゼル愛氏の言葉を引用させていただきます。
”…月は私たちに絶対に代わることのない、
7歳の頃の純粋性を失わせないために、
ひとつの救いの道を残したのです。
大衆に訴える力です。”
~月の教科書:P.220 より~
”月は、自分ではなく、
集合体としての命を生きていくことを私たちに強制しているのです。
自分も他人も同じなら、
私たちの全員が救われる以外に道はないのです。”
~月の教科書:P. 220-221より~
”月はそもそも自分のためには使えない星なのです。
自分が良くなろうとして使っていたので苦労が絶えなかったのです。”
~月の教科書:P. 221より~
”月を大衆の幸福、
大衆の解脱のためにいかに使うべきなのか。
そこを理解してこそ月の本当の感動があります。”
~月の教科書:P. 221より~
”私たちは月を7歳のレベルでしか使えません。
しかし純粋な思いだけは使えます。
大衆を動かせるのは、子供の純粋な思いだけです。”
~月の教科書:P. 221より~
”誰でも幼子のようにならなければ天国には入ることはできない。”
これはイエスの言葉ですが、…。
”純粋な思い、それは不得手なことでもあります。
不得手でうまくできない、
その子が純粋な思いを発する、
常にそうした思いで世の中に存在している、
そのことが大切だったのです。”
~月の教科書:P. 221-222より~
月の教科書には、「月光反転法」として、月サインの弱点や改善策が紹介されています。
「月を反転する」という概念は、
天体が位置する正反対のサインの意識・エネルギーを活用する概念・発想や、ミッドポイント、
意図的にアスペクトを作り、不足している意識・エネルギーを知る、
といった思考実験に通じるものがありますし、
当講座でも、「示されていないメッセージを見出すこと」を重視しています。
月が象徴する「心」さえも、私たちの本質ではないだけでなく、
月が本質を見誤らせるプログラムとして稼働している中で、
唯一、私たちが「自分自身からの囚われ」から解放される道がある、
とマドモアゼル愛氏は提言されているように思います。
それこそが、「幼稚な思い」は他者の心を掬い上げるために、
大衆に通っている感情を癒すために使う、という利他の心です。
更に言えば、「自分=他者=宇宙」という全体性の意識(ワンネス/ホールネス)となるでしょうか。
セーラームーンの活躍と奮闘、そして、慈愛の心と共通するものがあると思いませんか?
実際のところ、占星術・ホロスコープ上で「月=欠損」とし、、
使いどころを間違えると、ホロスコープ・リーディングが破綻してしまいますし、
そもそも、「欠損の対象」は、本当に「月(白き月)」なのか?という議論の余地はあるでしょう。
ただ、「幻想」や「支配」、「死」、「時間」、「安らぎ」、「母性」といった
様々な象徴と役割、機能を与えられている月を理解する上で、
月の欠損の理論は、私たちに自己理解の材料を与えてくれていることは確かです。
本記事で月の欠損の理論を取り上げた理由は、
本講座の根幹のテーマである、
「自己肯定=自己受容」や「自己信頼」、「自己理解」の重要性をお伝えするためです。
また、今回は、セーラームーンを取り上げることにより、
「白き月=表層意識・表層的な心の領域=大衆意識」という側面を知っていただくためでもありました。
月の欠損については、浅く触れたのみではありますが、
現代占星術の新しい解釈・研究として、
古典占星術とともに、あなたの世界観に深みを持たせてくれることでしょう。
月の欠損については、
マドモアゼル愛氏がYoutube上で解説されていたり、サロンを運営されていたりしますし、
多くの方がネット上で評論を述べられていたりしますので、
書籍・月の教科書をご一読してはいかがでしょうか?
大切なことは、
他者の言葉を鵜呑みにし、思考停止の状態で、ただ受け入れる(飲み込む)のではなく、
「なぜ、この概念・発想・言葉・表現が語られるのか」という根本的な問いを持ちながら、
目の前の世界を観測・体験する姿勢です。
そして、「自分を実験台にする=自己理解」を常に行いながら、
「当事者意識=主体性」をもって、自分の人生に占星術を活用することが、
最も価値のあるホロスコープ・リーディングの実践となりますので、
是非、今後も、楽しく、深く占星術の叡智に触れていってください!
予定調和と創造性の発揮の両立のために、月は世界を受け入れる
今回は、セーラームーンと月の欠損、そして、リリスを絡めて、
月についての考察をシェアさせていただきました。
筆者・一ノ瀬 ユイ自身、
リアルタイムでセーラームーンのアニメを視聴していましたし、
マドモアゼル愛氏の月の欠損の理論をきっかけに、
占星術の学びを本格的に始めた、という経緯があり、
今回と次回の記事は、個人的な想い入れと占星術に対する愛情を込めざるを得なくなりました。
ただ、こういった「思い入れ」をもって、月を語る(表現する)ことは、
私にとっては、強い動機となり、
読者のあなたにとっては、無意識への強い訴え(響き)となるのではないかと思います。
地球の周りを公転する月は、
地球に住まう人類とすべての生命体にとって、現在の宇宙では生命線とも言える存在です。
それは、占星術上でも同じで、
月(心)を無くして、人生という物語・旅・山登り・意識進化はあり得ませんし、
ホロスコープ・リーディングは成立しない、とまで言えます。
私たちが通常考えている「月(白き月)」は、太陽の光を反射・吸収するだけでなく、
私たちに「重力」や「引力」の働きをもたらし、
「時間」と「不変性」、「純粋性」をもたらす存在です。
本記事では、月の複合的な役割・機能について解説させていただきましたが、
本講座のすべての記事を書き集めても尚、月の理解には不十分ではあるのですが、
新しい視点・着眼点で、ホロスコープ・リーディングと月、
そして、自己理解のために、少しでもお役に立てましたら幸いです。
アニメ版・セーラームーンが公開された1990年代初め~半ばは、冥王星の蠍座時代でした。
運命の巡り合わせか、武内直子氏の夫である富樫義博氏の「幽遊白書」も、
同時期に漫画連載とアニメ放映がされていました。
どちらの作品も、「魂」や「目に見えない世界」を扱い、
「生きることの大変さと美しさ」を描き、
当時の読者・視聴者の死生観に強い影響を与えたのではないかと思います。
漫画やアニメ、ゲーム、映画などは、娯楽だけの側面だけでなく、
作者・創作者の魂と意志、人生が込められているだけでなく、
その時代だからこそ降り注ぐインスピレーションが通う作品であり、
人類の歴史の一部であるとも言えます。
昔の作品にノスタルジーを感じるだけでなく、
時に、今回のように、現在進行形で取り組んでいる事柄と結びつけて、
何かしらの発見・気づきを得られることもあるでしょう。
筆者の場合は、自分の幼少期と現在がリンクし、
思春期の頃(水星期・金星期)に夢中になっていた事柄と占星術が交差して、
このように文章を書いていることが不思議で仕方がありません。
それもまた、人生という運命の一ページ、一章、伏線回収の一幕なのかもしれませんね。
次回は、番外編の第2弾として、
エヴァンゲリオンを取り上げ、「黒き月(リリス)」に関しての考察・解釈をお届けする予定です。
是非、次回の記事も楽しみにしていてくださいね!
それでは、今回も最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます!
次の記事「番外編その2.エヴァンゲリオンと黒き月(リリス)&ダークムーン・リリスを考察!無意識は私たちから生きる意味を奪うのか?」でお会いしましょう!
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